極私的 白石和宏名品展

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初めて会ったのは25年以上前。東京藝大を出られた白石さんは、三越に入りたての私にとっては、作家のイメージを刷り込んでくれた人だった。個性的な風貌。ときに友達のように話しかけてくれる気さくさ。宮沢りえの『Santa Fe』を一緒に見た人(余談)。作家は構えていて話しづらいという印象を崩してくれた。こちらが普通に接すれば普通に接してくれる。そんな人だった。

 

作品がこれまた魅力的。どんな料理にも見事にマッチし、食器棚にも収納しやすく、洗うにも気を遣わない器。カニの爪や米粒の形をした皿だったり、顔の絵文字みたいな皿だったり、変幻自在だけど料理を盛ったときのことがじつによく計算されている。名前もない家庭料理が、料理屋さんの一皿に変身できることを教えてくれた。

 

この飯碗は、うちのかみさんが三越の後輩と5客組を分けあって買ったうちの1つ。これを使い、眺めていると、みかわ是山居の早乙女哲哉さんの「白石は天才だ」ということばが、今になってじわじわと効いてくる。「高台の削りに迷いがなく、気持ちが入っている」と早乙女さんはおっしゃっていた。この見方は、工芸担当28年になる今、実践的な作品鑑賞法になっている。

​嶋田修さん所有◎飯碗

​「白石は天才だ」ということばが

 今になってじわじわ効いてくる

​城塚朋和さん所有◎犬小屋水滴と仔犬筆置き

​この遊び心は、白石ファンには

よく知られるところ

白石さんは食器作りが抜群にうまい作家だったが、若くして亡くなってしまった。その2年前か3年前、三越で開かれた個展の折り、小さな犬小屋とその傍らにうずくまる犬が片隅に置かれていた。

 

これは組物ではなく、また陶人形というわけでもなく、犬小屋は水滴、仔犬は筆置きなのであった。赤い屋根の犬小屋は可愛く、犬の赤い首輪も印象的だ。余った土でちょこちょこっと作ったのだろうが、白石さんのファンには、こうした遊び心はよく知られるところだ。メインの作品ではないが、ある意味もっとも白石さんらしい作品かもしれない。

※城塚さん(好文居主人)は当サイトでエッセイを連載中。

​当サイト管理人所有◎ヌードにまつわるエトセトラ

​石黒宗麿の作品を探してみたら、

​やっぱりありました

上記で嶋田さんが『Santa Fe』を一緒に見たという思い出を語っているのを読んで、食器棚の奥に仕舞込んでいた絵皿を思い出した。陶芸家ならばたいていの場合、「裸婦図皿」というような作品名を付けると思うが、白石さんはストレートに「ヌード皿」という作品名にしていたと記憶する。もう一つ嶋田さんが投稿の中で、顔文字のような皿のことを語っているが、確かに白石さんは人間をよく器に描いていた。もちろん中国陶磁のような人物ではなくて、あくまでも抽象的な人間だ。

 

そもそも裸婦を器のモチーフにした陶芸家はいるのだろうか? 試しにググってみても、洋画家の絵皿くらいしかヒットしない。ふと、石黒宗麿はどうかと思ったら、やっぱりあった。私は見逃したが、2年ほど前に開催された「最初の人間国宝 石黒宗麿のすべて」という回顧展で「白地鉄絵裸婦図鉢」という器が展示されていた。裸婦というよりは邪鬼が3人で踊っているような異様な絵柄だが、石黒宗麿はやはり人間を器によく描いている。つまり、白石さんは宗麿好きなのだった。それは、息子の名に「宗」の字を使っていることでもわかる。

 

ヌード関連で、私が所有している白石和宏作のオブジェと掛け軸を紹介しておきたい。掛け軸は、はがき大の裸婦画をからむし織で表装し、軸は陶製で白石さん自身が焼いた。この絵は、石黒宗麿の「白地鉄絵裸婦図鉢」を品よくした感じだ。

 

一方、オブジェのほうは、真ん中の小さな扉を開けると白いお尻が3体見えるという、まったくしょうもない作品である。こりゃさすがに宗麿さんにはない作風。白石さんがどうしてこんなものを作りたいと思ったのかわからないし、私もどうしてこんなものを買ったのかよくわからない。「え? 買うのー?」と言って、うれしそうにしていた白石さんの笑顔を思い出す。今にして思えば、白石さんの術数にまんまとハマったような気もする。とにもかくにも、1994年の夏にこれを手に入れて以来、ずっと居間の壁に飾り、白いお尻を眺め続けている。

​坂本素行 作 象嵌珈琲碗
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