対談小野二郎×早乙女哲哉

名人の言いぶん

​『天ぷら「みかわ」名人の仕事』(2003年刊)所収

 タダ者ではないのはすぐわかる 

――次郎の旦那、この間、美容整形にいらしたそうですね?
小野 あ、まずその話?(笑)
早乙女 え! オヤジさん、なにぃ? 整形したの?
小野 いや、整形っていうかね、頬にシミが出ちゃったんですよ。なんか最近あちこちにできちゃっているんだけど、シミがいっぱいできると、ほんとジジ臭くなるでしょ? それで全部取っちゃったの。
早乙女 はあ……そりゃすごいなあ(笑)。いや、ほんとすごいですよ、それ。
――みかわさんのように女性にもてたいからじゃないと思うんですけど……。
早乙女 いや、違うよォ、ちゃんとその先にあるんだよ、そういうことが。
 ただね、オヤジさんは自分の年考えて、照れ臭いからそう言わないだけでさ。やっぱし若い子と一緒に出かけるときなんか、自分もある程度きれいにしておかないと嫌われるだろうとか。女の子もプライドあるじゃん? 私はそれなりの人と一緒に歩いているんだっていうね。そういう期待に応えなくちゃいけないっていうのがあるんじゃないかと思うけどね。
――どうなんですか? 次郎の旦那(笑)。
小野 そりゃね、腰曲がって、顔はシワだらけでシミだらけでね、それで一緒に歩くっていうのは、自分のじいさんと歩いているみたいで嫌でしょうね。だから、ま、それは多少はあるかもしれませんけど、シミを取った本来の目的は、店に立っている以上はあんまりジジ臭くしたくないなってことだったんですよ。
早乙女 うん、でもね、そういうオヤジさんが店に立っているとね、やっぱし色気があるんですよ。そこにはもう絶対、男の色気みたいなものがあるわけだからね。
 オレなんかもね、天ぷら揚げているときはそんな格好つけているわけじゃないのにね、「みかわさん、仕事しているときはなんか格好いいわねえ」とかね。そうかな? じゃあもっと格好よくしなくちゃいけないか、なんて思ったりしてね。
小野 あはははは……。いや、ほんと、それはないですよ、私の場合。仕事しているときに格好つけようとか、そんなことはないんですけどね。
 ま、どっちにしても、そんなヘンな格好して握れやしないから。みかわさんだってそうでしょ。ヘンな格好して揚げろったって揚げられない。やっぱりいちばん仕事しやすい自然体に自分を持っていくわけだから。
早乙女 うん、だから、いちばん研ぎ澄まされた姿がいちばんきれいだってこと。人間の所作の最小公倍数を求めたら、その姿はもう最高にすばらしいということだね。自分で意識しなくてもそこにたどり着ければ、仕事もそこに自然とたどり着いているっていう。
小野 おっしゃるとおり、そういうのは知らず知らずのうちにハマッていきますよね。体がそこにハマッていきます。自分の仕事ですから。
早乙女 オヤジさんの寿司食べながらね、「なんでオヤジさんが握った寿司はこんなにおいしいの?」って訊く人がいるでしょ? 「そんなことは当たり前だあ」ってね。1個寿司握るのにね、50とか100とかって思いを一瞬のなかで最大公約数として表現してやろうっていうね、その意識が握っている姿を美しくしたり、寿司をおいしくしたりするんですよ。
 それが素人の人には見えないんだけど、私たちが見りゃすぐわかる。そんな1つ2つ気をつけただけで寿司握れるんなら苦労はしないわ。たった1個握るのに50や100の思いを濃縮しているという姿がそのまま格好いいんですよ。
小野 ええ、たしかにそれはありますね。
 みなさんよく次郎って言えばコハダって言うんだけど、それは単純に握るだけじゃできないんですよ。そこまで行くのにどれだけこっちがやっているか。脂の抜け具合を見たり、それを味見してみたり、いろんなことをしなければなりません。
早乙女 それはね、仕事の手順を知っているからじゃなくて、オヤジさんがコハダというものを知っているからそうなるんですよ。
 最近料理の雑誌なんか見ると、プロセスをずっと追いかけるとそのままできるとかって言ってるでしょ? あれは素人のためにあるもんでね。要するにオヤジさんがなんでコハダを上手に作るかというと、コハダをよく知っているからできるんですよ。
小野 ええ、そういうこと。それにコハダっていっても1つ1つ違うんですよ。だから、プロセスを見てもできっこないですよ。あれ、そもそも書いてあるとおりにやる人っていないと思うな。あれでやるんだったら、その前に自分で苦労してやってますよ。
 だから、ま、私なんかも本で手順を見せているわけだけど、それを見て勉強しようと思う人がいるとしたら、そういう人は見る前に勉強してますよ。自分で勉強していない人は、あれを見たってなんの意味もありません。
早乙女 要するにあれは、オヤジさんの頭のなかに入っていることを4つ5つ並べているだけでさ、その4つ5つ見てできるくらいだったらさあ(笑)。実際のところは、オヤジさんが生まれてからずっと積み上げてきた経験則とかが加味されなければできないんだから。本の2頁にプラス、オヤジさんの77年がないとできないのよ。
小野 できません。
早乙女 そこいらへんをね、素人の人は見えていないっていうかね。だから、よく言うのは「オヤジさんの立っている姿見てみろよ! 人間国宝っていうような人たちがヨタヨタ踊っているけどね、オヤジさんの姿のほうがよっぽどきれいだろ?」って。
――それは次郎さんから見てのみかわさんもそうでしょう?
小野 ええ、そうですよ、それはもちろん。
 私はみかわさんにいちばん初めに伺ったときに、天ぷらっていうのは、こういうものかァって思った。あの味、それから仕事をしている姿。みかわさんは揚げていたって、ほとんど物言わないものね。真剣勝負しているから全然物言いません。
早乙女 前にね、誰かに質問されたことがあるんですよね。「お2人で仕事の話するんですか?」って。で、「なんで仕事の話なんかするの?」って(笑)。
「オレは天ぷらを出しているんですよ。オレの思いは天ぷらに込めてオヤジさんに渡しているわけだし、オヤジさんはそれを食べているわけだから、それ以上どういう言葉が必要なの?」って。自分の思いは寿司と天ぷらに込めてお互いに渡しているんだから。自分がそれだけの仕事をしていたら相手の思いも簡単に読めるんですよ。
小野 私もいちばん最初に天ぷらをいただいたときにすでにそう感じた。だから、1週間後にまた行ったんですよ。1度目は名乗らずに、黙って食べて帰ったんですけどね。
早乙女 で、2度目に来たときにね、オヤジさんが「数寄屋橋の次郎です」って(笑)。
――最初からみかわさんもタダ者ではないと思っていたんでしょ?
早乙女 うん、食べ物屋さんだなっていうのはすぐわかった。ある程度仕事ができる人ならね、こっちで見ていてすぐわかる。あ、この人はプロだなって。
 こっちでわからないのは、仕事ができない人ですね(笑)。この人は何屋さんだろう? ってわかんない場合は、寿司屋でも天ぷら屋でも、ま、ロクな仕事はしていないと思うな。
――次郎さんもそうですよね?
小野 はい、そりゃもうわかりますよ。
早乙女 店に入って来たときから、あ、商売人が来たなってすぐわかりますよね?
小野 ええ。だから、私よく息子なんかに言うんだけど、「さっきの人は田舎の寿司屋さんだな」とかね(笑)。それはもうわかりますよ。とくに寿司屋さんはよくわかりますよ。和食の方もわかりますけど、寿司屋のほうがよくわかります。
 で、やっぱり、このお客さんはプロだなっていうのは、目つきが違うし、動作が違います。できない人っていうのはそれがない。こちらを見る目つき、それから動作ですね。
早乙女 要するに目の追うところが違うんですよね。材料がいいとか悪いとか、そういうところじゃないの。こっちがわりと思い入れているポイントをちゃんと見ている。
小野 それとね、ある程度できる人が来るとね、私が言うのもなんだけど、緊張しちゃってますよね。
――ああ、旦那の前に座っていて?
小野 そう、緊張しているのがわかるんです。そうすると、その人はある程度できるんですよ。できないと平気なんですよ。ね?
早乙女 そうそう、鈍いからね(笑)。
小野 できる人っていうのは、やっぱり緊張しているんです。私のほうはまったくいつもどおりにやろうとしてるんだけど、向こうはソノ気で来るでしょ? 少しでも盗もうとか、雰囲気を味わおうとか、そういう頭があるから、実際に目の前に来ると緊張しているように見えますね。
 その逆のときもあるんですよ。私のほうが知らん顔して入って食べていたら……。
――あ、次郎さんがほかの寿司屋さんに行ったとき?
小野 そう、地方に行ったときにね。握っている人の手が震えているから、なんだろうなって思っていたら、あとで「あのう、東京の次郎さんじゃないですか?」って(笑)。
早乙女 最低線食べられるのはそこの店だって聞いて行ったんでしょ?
小野 そう、その土地で名前のあるところに行きたいじゃないですか、どんなものがあるかと思って。そいで自分はのんびり食べたいと思って行くんだけど、向こうのほうがね。
早乙女 それは、次郎のオヤジさんだとわかったら、めいっぱいやろうとするから苦しいんですよ。前にね……えーっと、岡山に有名な寿司屋さんがあるでしょ?
小野 ああ、わかります、ええ。
早乙女 20年くらい前に食べに行ったんですよ。1人でガラガラッと入っていって、カウンターに座って食べていたんです。そうすると、そこのオヤジさんがね、何回も何回も裏行っちゃうんですよ。
小野 ああ、なるほど(笑)。
早乙女 私は黙って食べ終わって、「お勘定お願いします」って。で、そのときね、1人2万以上かかるって聞いていたんだけど、7000いくらなんですよ。聞いていた話と違うじゃないかって思ったから、「いいんですか? これで」って訊いたら「ええ、それで結構なんですよ」「ああ、そうですかー」ってお金払って出てきたんです。
 そうしたら、女将さんが裏から駆けて出てきてね、「すいません、どちら様でしょうか?」って訊くの(笑)。「いや、別にどちらとも……。岡山ではこちらで食べたほうがいいよって言われてたから」「どちらのほうからいらしたんでしょうか?」「東京です」「東京のどちらでしょうか?」「日本橋です」って言ったら、「あ、みかわさんですか?」(笑)。
小野 テレビ出すぎ(笑)。
早乙女 いやいやいや、その時分出てないですよ。20年前だから。
小野 じゃあ、それは敵も敵なんですよ。見破るっていうのはできる人なんですよ。

寿司の味は下半身からだ

早乙女 まあ、そこのオヤジさんも、それだけ仕事に対して頑張っているっていうかね。というのも、最初から「あれ、この人、寿司のプロじゃないな。途中から寿司屋さんに変わった人だな」って思って見てたんですよね。そんな感じでずっと手元追いかけられているから、向こうは苦しいんですよね。オレのほうはなるべく見ないようにしていたんだけど、それが余計気になったらしくて。あとで知ったんだけど、そもそも天ぷら屋さんなんですってね。天ぷら屋から寿司屋に変わった。
小野 ほんと、手元見るのはたしかにそうですね。私もつい見ちゃうから(笑)。
早乙女 私なんか、次郎のオヤジさんの手元、まったく見飽きないよね。モノができあがってくるところのリズムっていうか、最後にギューーーーーッとこう握り込んでる手が絶対下まで下りていかないんだろうなあ、途中で止めたいから逆に力が入っているように見えるんだろうなあって思って見ていると、その直後に寿司がポンッと出てくる。
 要するにね、ギューッと思いっきり力入れてんだけど、ここまでしか入れちゃいけないよっていう力の入れ方が、ポンッと付け台に出てくるリズムとつながってんの。もうこれ以上いっちゃいけないというギューッとから、ポンと弾き返してくるリズム。
小野 うん、それが写真だと、全部力が入っているように写っちゃうんですよね。私はそんなに力入れていないんだけど、違うふうに写っちゃうんですよ。
 ところがね、そのギューッともやらないとダメなんです。全部が軟らかいのはダメですからね。いちばん最後のところは外を固めるためにちょっと力を入れるんだけど、かといって、その力を全部なかまで通したら硬くなっちゃう。お寿司っていうのはだいたいなかが軟らかくて、食べたときにほぐれないとおいしくないでしょ? そうかといって全部軟らかかったら持ったときにこぼれます。つぶれちゃいます。そのために外だけを締めているんです。
早乙女 ご飯の2列目までは思いっきり力を入れたいけど、3列目には入らないようにするとか。
小野 それをやらないといかんのです。
早乙女 だから、それが最後の弾けてくるリズムみたいになるんだね。モノができてくるときにはそういうリズムがあるんだなっていうのを、お互いに見合ってるんですよ。その加減というのは、オヤジさんがいままでに何千万貫も握ってきて初めてつかまえたものだから、それは誰にでも簡単に見えるものではないかもしれないね。
小野 そういうのを見ている人ってそんなにたくさんいないです(笑)。
早乙女 『料理王国』の連載のときも言ったけど、浅草の美家古ね。あそこの先代のオヤジさんが電球のソケットに指突っ込んだみたいな握り方するんですよね。それ、私たち子供のときに度胸試しでやってたんだけど、電気がビビッと来るから、指突っ込んでいかに早く抜くかって(笑)。
 美家古のオヤジさんの握り方ってそういう感じだったんですよ。最後の瞬間、なんか痙攣するみたいにしてキュッとこうね、握るんですよ。
 で、次郎のオヤジさん見てたら、うーむ、面白いなあ、違う方法で同じことをやろうとしてるんだなあってね。そういうのを見るために、私たちは名人のところに行きたいわけですから。で、そういう切り口を見てね、もう一つ自分の仕事もふくらんでいくっていう。
 ま、例えば、私の場合、海老をのすのがそうなんですよ。つぶすんじゃないんだよ、のすんだってね。のすというのを口酸っぱくして言うのは、8本の指で全体を押さえて、まったく一点だけ抜けてくるようにのしているわけ。で、殻がすぽんと抜け出したときにはもう力が抜けてる。それを2箇所やるんだけど、素人はだいたいつぶしちゃうんですよ。
――そういうふうに言われたら、僕ら素人はきっと、指先だけの加減でやろうとしちゃうと思うんですよね。寿司をキュッとやるにしても、海老をのすにしても。でも、そうじゃないんでしょう?
小野 そうじゃないですね。指先だけじゃない。
早乙女 だからオレがいつも言うように「オヤジさんの立ち姿見てみろ」と。要するにそれは、つま先から頭のてっぺんまでね、自分が1ミリ動かそうと思ったら1ミリ、2ミリ動かそうとしたら2ミリ、自由自在にいつもで対応できる立ち姿をしてるわけ。
小野 足幅だってそれは自分の足幅ですからね。これはもう誰にでも合うわけじゃなくて、自分のいちばんやりやすい幅が長年でできあがってるんです。だから、おそらくこういう形で握ってるんだろうなっていうのは自分でもわかりますよ。私は意識したことはないけども。体が覚えてることであって、意識してやっていることではない。でも、カウンターのなかに立ったときにはすでにその形になってるんですよ。
――それを無理やり変えたら指先まで影響しちゃうんでしょうね?
小野 ま、そうですね。
早乙女 そう、ほんのちょっといつもの場所と違うと、どうにも我慢ができなくなったりするんですよ。もうそれはね、床のタイルがちょっとでもずれていたりするとダメなんですよ。それでほんのちょっと狂った体の平衡を直しながら立っていると、もう全身がバリバリになっちゃうんですよ。余分な力が入っちゃって。
小野 まあ、私らは足からでしょうね、ほんとに。で、膝っ小僧には絶対力は入れていないですから。腰だって力は入れていません。
――だから、仕事している姿がきれいに見えるんですね。ゴルフなんかでも余分な力が入っていたら、きれいなスイングに見えないですものね。ゆったり見えない。
小野 私らの仕事は、膝っ小僧と腰に力が入っていたら絶対ダメでしょう。
――手や腕にもですね?
早乙女 うん、どこにも力が入っていないなあ、オヤジさんは。いつでもどこでも、どういう形にでも、どういう状態にも対応できるっていう自然体だな。
小野 まあ、自然体になるんでしょう、自分では意識していないんですけどね。無駄なものがあるといいものができてこないですから。こっちに無駄があると、できあがったものにも無駄な部分が出てくるんです。

100パーセントの力を出させられちゃう客

――いちばん最初に戻りますけど、次郎さんとみかわさんが初めて会ったときのことですが。
小野 とにかく一言も言葉は交わさなかったです(笑)。
早乙女 で、次に来たときにオヤジさんが「先日は何も挨拶せずに帰っちゃったんですけど……」って。
小野 とにかく、こんなにうまい天ぷらがあるのかと思いました。最初のときから穴子2本食べましたから。
――え? コースのほかにですか? 穴子2本ってすごいボリュームですよね。
早乙女 うん、オヤジさんは、海老にイカに穴子くらいはお代わりするよ。最近こそ穴子だけになったけど(笑)。
小野 みかわさんの穴子はね、一口食べて、「穴子っていうのはこういうものか……」って。
――次郎の旦那だって穴子はお得意でしょう?
早乙女 うん、だから、オレはそのとき「お寿司よりうまいでしょ?」って言ったから。
小野 あはは。まあ、どこの天ぷら屋さん行っても、ああいう穴子の揚げ方するところないでしょう?
――カリっとして、なかはジューシーで。
小野 ええ。正直言って、よその天ぷら屋さんで穴子食べるの、イヤだったんですから(笑)。
早乙女 だから、穴子は寿司に限るって思っていたんでしょ?
小野 ほんとにね、天ぷら屋さんに行って穴子がおいしいと思ったことは1回もなかった。だって、アイツはちょっと若かったら生臭いでしょう? それが口に合わなかったの。
――それに感動して1週間後にまた行ったんですね?
小野 いや、それで2日か3日あとですよ、山本(料理評論家・山本益博)さんが天ぷら食べに行こうって言うから、「どこへ?」って訊いたら「みかわさん」「あ、行く行く!」って。3日くらいあとですよ。それくらい感動がすごかったんですよ。
――それは何年前ですか?
早乙女 うーん、12、13年くらい前でしょうね。
小野 その前はあっち行ったりこっち行ったりしてたんですよ。天ぷらは結構ね。だけど、それ以降1回もほかの店に行ったことがない。よそ行こうかって誘われたら、「あ、ちょっとその日都合悪いです」って(笑)。私に言わせてみれば、それくらい感動が強かった。もう山本さんでも誘わないもの。あの方は仕事上ほかへも行っているけど、天ぷらだけはよその店に行こうって言わない。
早乙女 うーん、私ずるいんですけどね、自分でわかってて仕事を意外と出し入れするんですよ。そこいらへんがすごくお客さんの不評を買うところなんだけど(笑)。要するに、できねえ人に余分にやってもつまんないなって思うから、やらないんですよ。駆けっこしても勝てばいいんでね。50メートル引き離して勝ったって、1メートルの差で勝ったって、勝ちは勝ちでしょ?
 だから、100パーセントの力を出させられちゃうお客さんなのか、出さなくてもいいお客さんなのかっていう判断はいつもしてるんです。そうしないと疲れちゃうから。その人にとって100パーセントであれば、プロはそれでいいんですよね。で、その人の力が上がってきたら、またそこでの100パーセントで応えますから。
 でないと、100メートル10秒で走るツワモノに勝てなくなっちゃうんですよ。一日じゅう100メートル10
秒で走っていたら死んじゃうし。で、次郎のオヤジさんが来たら10秒で走らされちゃうという。
――みかわさんは次郎さんと会う以前から、どういう方か知っていたんでしょ?
早乙女 うん、知っていたけどね、人から聞いた話だけだったから。それまではね。だから、食べている姿を見ていてね、あ、次郎さんってスゲーんだって思ったの。で……うーん、これね、オヤジさんに言ったことがないんだけどねえ。
小野 え? 何?
早乙女 うん、じつはオヤジさんが左利きだって話を聞いていてね、「ぎっちょの寿司かあ……ぎっちょの寿司なあ……」ってずっとそれが引っかかっていてお店に行かなかったんですよ(笑)。で、オヤジさんが食べているの見てて、「あれ、ぎっちょって別に関係ないな」って。ぎっちょを有利に使っているのがわかったから。
――えーと、お箸も左なんですか?
小野 いや、右ですけど。
早乙女 だから、ぎっちょを有利に使っているということは、どっちも使えるということでね。
小野 いま寿司はずっと左で握ってますけど、わかっているのは昔からのお客さんだけで、ほとんどの人は気がつかない。「私は左で握ってます」って言うと、「え? そうかい?」っていう人が結構多いんです。
――不自然に見えないってことですね?
早乙女 そうそう。で、左利きだからマイナスってことじゃなくて、左利きだから両方できちゃうというね。左でしか対応できないんだったら話は違うけど、両方で対応できんだから。
 私も結構、左右同じように使いますよ。篩なんか使っていても、右のリズムと左のリズムが全然違うとダメだからね。そうすっと左手も自由に使いたくなるから、修業時代ね、何箇月も左手でご飯食べたこともあるんですよ。ところが次郎のオヤジさんは、普通にそれをやってるからさ(笑)。
――寿司は右で握らないといけないものなんですか?
小野 いや、シャリ鉢の位置だけですよね。
――包丁は?
小野 包丁は右……のときもあるし、左のときもある(笑)。力が必要なものは、右ではほとんどどこへ行くかわからないから左でやります。
――やっぱりそういうことですねえ。
小野 はい。で、アワビは右で赤貝は左(笑)。赤貝の場合は、下手すると自分の手ひっぱたいちゃうから。
早乙女 あはははは……。だから、話で私が聞いていた次郎さんというのは、ぎっちょでね、刃物も何もみんな反対でね、どーすんのかなあって、それしか頭になかったの(笑)。で、うちで食べているの見ていたら、右も左も普通だからね。あれ、全然違和感がねえんだって。まあ、ぎっちょってね、昔はあんまりいい言葉じゃなかったでしょ?
小野 ああ、それはもういい言葉ではありませんでしたよ。私も小学校2年生くらいまではご飯も左だったんですけど、無理やり直したんですから。
早乙女 そういや、きのうもね、左でご飯食べていてね。うちのヤツが、「どうして左で食べてるの?」って言うから、「たまたま箸が左にあったから」って(笑)。
小野 ああ、それなんですよね。たまたまこっちにあったからそっちの手で、ということもできないとね。私も左右関係なく、漬物でもなんでも普通に食べられますよ。箸くらいだったらそんな違和感ないです。同じくらい使えます。
早乙女 ま、両方使えるようにしたほうがいいなって思いますよね。
小野 私は小僧のときは包丁も全部左だったんですけど、やっぱりそれを右に直さないと上の人たちについていけないんですよね。それでだんだん慣らして、両方使えるようになったんですよ。両方使えるってたって、ま、なんていうか、器用貧乏ってやつなんだけどね、これは。
――どうして握るのは左のままになさっているんです?
小野 どうしてってこれだけは右では握れない(笑)。左っていうと左の掌、右っていうと右の掌。掌だけの話なんだけど、右で練習していてもいつのまにか左になっちゃうんですよ。右でやろうと思ってここでシャリ握ってみる。最初はいいんです。でも、1回手を返してみると、もう左に入ちゃってるの。何10回、何100回やってもダメなんだ(笑)。
――じゃあ、それはもういいってことにしたんですね?
小野 そう。というか、いいも悪いも、できないから(笑)。できるだけ早く仕事したいから、いいや、左でやっちゃえって。
早乙女 最後の感性って、要するに髪の毛1本が揺れるくらいの感性というのは、やっぱし利き腕じゃないとね。
小野 うん、そう、利き腕じゃないとダメなんですよね。絶対ダメですね、そりゃ。右に直したって絶対満足の行くものはできないと思うんです。
早乙女 でもね、ボウリングを左でやるとね、案外素直に転がるんだよね。利き腕の右でやるとやっぱりこねちゃうの。
――利き腕って結構クセついちゃってますからね。
早乙女 そうそう。右のほうが素直じゃないんだね(笑)。
小野 あはははは。たしかに不自由なぶん素直になるというのはあるかもしれないな。

カウンターに座るってことは

――また話が違うほうに飛んじゃった(笑)。
 で、みかわさんも次郎さんのところに食べに行ったんですね? すぐ。
早乙女 次郎さんところにねえ、誰と行ったのかなあ……。
小野 うん、みかわさんはいちばん初め誰と来たかな?
早乙女 うちのお客さんだな。女性でね、その人がいつも次郎さんのこと話すから。で、その人は素人だからさ、左利きだという話だけなんですよ。その先には踏み込んでいないんですよ。
 まあ、やっぱり……こんなこと言ったらなんだけど、女のバカさ加減でね、結構裏が見えないんですよ。
小野 ははは……。
早乙女 その、なんていうの? 男の思い? 要するに結構ロマンティストなところがね、女には見えないんですよね。やっぱし男じゃないとそういう繊細なところは読めません。女のほうが繊細で男はぶっきらぼうみたいに世間では通っているけど、そんなことはまったく正反対ですからね。
――うーん、それはたぶんデリケートに響く部分が男と女で違うだけですよ。
早乙女 セックスについてだけね、それは。
――書いちゃいますよ!
早乙女 全然平気だよ(笑)。同じことだもん、だって。
――まあ、セックスだって男のほうが案外デリケートかもしれない……。
早乙女 だから、そうですよ!(笑)
――話がほら、また……。ま、とにかくしばらくしてから食べに行ったんですね?
早乙女 うん、そう。ま、食べに行ってもね、ほとんど10分くらいで帰っちゃうからね。最近こそ、食べ終わってからオヤジさんと話すこともあるけども。
小野 そう、みかわさんはたいてい10分か15分。
早乙女 何年もそうですよ。ここのところ取材とか本の話でちょっと話すけど、だいたい10分か15分だねえ。
小野 私らにしてみれば、そういうふうに、トットトットと食べてくれる人は非常にありがたいですからね。
早乙女 ありがたいってね、一般の人が思うように、早く帰ってくれて商売になるというんじゃなくて。
――リズムですね?
早乙女 そうそう、自分のリズムを壊さないでくれるという。リズムが噛み合った充実感というのが、いまオヤジさんの言った「ありがたい」ということなんですよ。自分のした仕事と、それを食べてくれたお客さんの気持ちががっちり噛み合うと気分がいい。
小野 私なんかも、ほかの店に行ってカウンターに座ったらまず立ちません、食べ終わるまで。相手方が一生懸命やっているのに、それに水を差すようなことは絶対にしません。だから、みかわさんによく笑われるんだけど、天ぷらを揚げていると、こっちは箸持って待っているって。
早乙女 うん、オヤジさんはね、もうすぐ揚がるなっていうところでね、鍋のなかから出そうとしていると、もうしっかり箸持って待ち構えているんだものね(笑)。
小野 あはははは。
早乙女 普通はね、さっきは右から分けていったから、今度は左から分けようかなって思うんですよ。揚げたてを順番に出すのにね。そうしたいなって思うんだけど、揚げているうちにオヤジさんが箸持って待っているのが目に映るんですよ(笑)。全然顔上げていないんだけど、下向いているんだけどね。そうすっと、どうしてもオヤジさんところが先になる。なにしろ箸持っているんだからね。
小野 私1人で行くってことはほとんどないでしょ? だから、隣の人としゃべっているんだけど、見えるわけですよ。こっちで話をしていても、もうそろそろ揚がるというのが。そうするとね、「あ、話あと!」ってなっちゃう。
早乙女 それが見えちゃってどうにもならない(笑)。そういう空気がね、ずっとこう漂ってる。お店との関係っていうのは、そこまでくると、お客さんも得だと思うんだけどね。
小野 それなんですよね、大切なのは。いちばん大切なところなんです。
早乙女 ときどきオヤジさん、本気で怒ってるものね。「せっかく茹でたての海老握ったのに、しょうがないでしょ、こんなになっちゃって!」って(笑)。
小野 あー、あのときね……。それはね、あの人たちになんでそう言ったかというと、雑誌社か何かの女性なんですよ。で、もう1人がカメラマンなんですよ。私もよく知っている人の紹介で来たって言うから、目の前の席を取っておいたんです。あとで聞いたら、「そんな人たち知らないよ」って言われたんだけど(笑)。
 ま、とにかく出版関係の人だったんですけど、海老をちょうど食べ頃にして握って出したら、そのまんまにしておいてカメラ出して何かしゃべっているから、「カメラはあとにしてくれ」って。「せっかく温度調節して出しているのにだね、なぜすぐ食べないんだ? カメラなんて逃げやしないんだから」って。たまたまそのとき、みかわさんがいたんだよね(笑)。
――それは取材に来たんじゃなくて?
早乙女 取材じゃない。食べに来ただけなのに、カメラ出してなんかおしゃべりしてるの。せっかく次郎さんに来て、で、せっかくオヤジさんが集中して仕事しているのにまったくの空振りでしょ? オヤジさんも気分悪いし、あの人たちもお金払ってね、オヤジさんの力の十分の一も知らないで帰って行くんだものね。
小野 値打ちないっていうか、つまんないだろうに。
早乙女 そのくせ「次郎に行ってきたよ」って自慢するんだよ、たぶんね。そんなものなんでもないのに。
小野 そう、お金払ったら払っただけの値打ちのものをちゃんと自分の体に詰めたほうがいいですよ。自分で値打ち下げて食べてもなんにもならないですよ。
――そりゃたぶん、たいした写真撮れないカメラマンだと思いますよ。
早乙女 うん、撮れないよね。撮れる人ならわかります。
 前にね、陶岳(陶芸家・森陶岳)さんと次郎さんに食べに行ったときにね、すごく酒の好きな人だとわかっていたから「陶岳さん、ビールでも1本いかがですか?」「じゃあいただきます」ってなったんですよ。で、オヤジさんがその間を見ながら寿司握っていたんですよね。
 そうしたらば、食べ終わって表に出てすぐね、陶岳さんが「今日はまことに申しわけございませんでした。僕が1人でリズム壊しましたね」って言ったんですよ。やっぱしね、あれだけの仕事をしている人はすぐわかるんですよ。
小野 うん、わかる。
早乙女 ビールね、たった1本だったんですよ。でも「たった1本飲んだだけで全体のリズムを私が壊しました、まことに申しわけないことをしました」って深々と謝ったの。やっぱしねえ、できるやつは違うよねえ。
小野 うん、全然違う。だから、ありがたいですよね、そういうふうにわかっていただけたら、こっちにしてみたらものすごくありがたいことです。
早乙女 だから、こういう客だったら勝負したいなって、こっちも頑張るんですよ。
小野 そういう方が100人のうち1人でもいたら、一生懸命やらなきゃなあって必ず思いますよね。
早乙女 それが職人ですよね。まあ、大きく外すこともあるんだけどね。
小野 ありますよ、それも(笑)。
早乙女 たまにありますよね? 何年かに1回はね。やればやるほど上滑りしちゃうってことがね。なんで今日はうまくいかなかったんだろう? って思うくらい。たぶんお客さんには見えないと思うんだけど、自分では空振り空振りの、やってもやっても空振りってことがあるんですよ。
――それは真剣勝負しているお客さん相手のときですか?
早乙女 そうそう。がっぷりだなってお客さんのときに。ま、その人には空振りしているのはわからないとは思うんだけど……。
小野 でも、終わってから自分がイライラするんですよね、すごくね。面白くなくなっちゃう。
――上滑りするって何か原因があるんですか?
早乙女 やっぱしね、店全部をコントロールできなくてね、そうするとその思いがどっかに引っかかってリズムを少しずつズラしてしまうんだね。で、自分自身の仕事も外す。それはほかの人は感じていなくて、自分がいちばん感じちゃうんですよ。ほんの些細なことなんだけどね。
――その些細なことってなんです?
早乙女 うーん、例えばあと4、5秒待って油に入れればよかったのに入れちゃったりとか。そうすると、4、5秒ぶん温度が低いから3秒余計に揚げようかな、って計算するんだけど、その3秒で結局カバーできなかったり、そういうほんの些細なことなの。
 入れちゃってシマッタ! と思ってどっかでカバーしようと思うんだけど、カバーしきれないまま終わっちゃってね、まァそこで引っ込めるわけにはいかないから出しちゃうかあって。ほんとならあのお客さんを自分の仕事で打ちのめしてやる予定だったのに、打ちのめせなかったという。
――そりゃよっぽど美人のお客だったんじゃないですか?
早乙女 違うって。そういうときはもっと違うアプローチの仕方する……あはははは!
――あ、はいはい……。次郎の旦那の場合、リズムが狂う些細なことって?
小野 寿司はね、いちばんの原因は自分の思った材料が入らなかったときですよ。このマグロはいいと思って買ってくるじゃないですか。で、サク取りするじゃないですか、そうしたら、なかのほうは思ったよりよくなかったとかね。今日のあのお客さんにはこれ食べさせたいな、こういうふうに作りたいなって思っていても、材料がそこまで行ってないと仕事していてもちっとも面白くない。
 それがマグロだけじゃなくて、シケのときは白身もあんまりよくないな、イカもあんまりよくないなってことになるでしょう? そうなるともうメチャクチャになっちゃうんですよ。
――ネタのまずさが握るところまでつながっちゃいますか? つまり精神的に。
小野 つながる、つながる。で、食べているお客さんの顔見ちゃいます。大丈夫かなあ、これで満足してくれるかなあって、次のネタ握りながらお客さんの顔見ちゃいますよ。だけど、さっきのみかわさんの話じゃないけど、お客さんはそこまでわからないんですよ。というのは、大きくわかるような違いではないですから。ほんの微妙な差で気に入らないだけですから、こっちは。
 そのちょっとした差で自分が気に入らないだけなんだけど、でもやっぱり、この人にはこれ食べさせたかったんだけどなあ、というのがあるんですよ。で、イヤイヤ仕事していることがありますよ。ノッて仕事していないんだもの。
 だから、寿司の場合は材料ですね、リズムを狂わせるものは。ま、下ろすのは若い人たちがやるでしょ。で、私の手元に1切れ来たときに、「うわァ、これかァ、これで今日1日握らなきゃいけないのかあ……」って、それだけで頭痛くなっちゃう。
――せっかくネタがいいのに、なんらかの理由で崩れちゃうということはありますか?
小野 それはないねえ。それこそお客さんとケンカしたときとか……あはははは。いつまでも食わないから、いい加減に食えって怒鳴りつけたときくらいしかないな、そりゃ。
――その点、みかわさんはケンカしませんよね(笑)。
早乙女 うん、オレは大人だから。
小野 あはははは!
早乙女 オヤジさんよりオレは大人だから(笑)。そういうときはオレは……。
小野 黙って仇取るからいいですよ(笑)。私なんか単純だから、すぐ言っちゃう。だってせっかくこっちが一生懸命やって出したのに、3つも4つも溜めてしゃべっていたら、そんなのうまいわけないでしょうに。もう年じゅういますよ、そういうお客。だから、話す傍ら食べるんじゃなくて、食べながら話しなさいって言うの、私は。
――せっかくカウンターに座っているんですからねえ。
小野 うん、それなんですよ。そういう喫茶店のような食べ方するんだったら、「テーブル席に行ってお皿に盛ったの食っても同じだよ」って、それを言うんですけどね。
――カウンターからテーブルに運んだだけでも味変わっちゃいますからね。
小野 うん、違うでしょ? だから皆さん、カウンターに座りたがるんでね、カウンターに座っているなら、出したらすぐ食べてくれって。で、食べたくなかったら、そこでストップしてくれっていうの。「お任せしますよ」と言ってどんどん握らせて、どんどん溜めているというのはね、そりゃね、寿司屋にしてみたら、なんでこの客にオレが一生懸命やらなきゃいけないのかな? ってことになっちゃう。
――みかわさんは、そういうときは揚げませんものね。
早乙女 うん、オレは止めちゃう。とりあえずそのお客だけ止めちゃって、ほかのお客をどんどん進めていくからね。で、自分のところだけ次が出てこないから、あわてて食べだすんだよね。
 ただね、やっぱし次郎さんに来るということは寿司においては究極でしょ? 1度は食べに来たいと思って、一生懸命働いたお金を持って来るわけでしょ? なんか道徳的にものを食べなさい、みたいに聞こえるかもしれないけど、そうじゃないんですよ。作るほうから言ってんじゃないの、これは。食べるほうから言ってるの。
小野 そう、お客さん自身が損しているってことですよね。せっかく来たんだからねえ、こっちがおいしく作ったものをおいしいうちに口のなかに入れてもえられば、それは10で行くんだけど、こっちが10出しているのに、5、4、3になっちゃうってことでしょ? つまんないと思うんですよ、それで同じ金額出すんだもの。しゃべるんだったら喫茶店行ってね、お茶飲んでしゃべっていればいいんであって。
 うちはもちろんお酒を出しますけどね、でもやっぱり、いい加減なところで寿司を食べてもらいたい。ゆうべもお客さんが「もっとつまみ欲しい」って言うから、「うちは居酒屋じゃないから、つまみはもうない」って言ったんですよ。最初から考えが違うお客さんがいるわけですよね。寿司屋だけど、寿司のネタでお酒を飲みたいという。
 それだったら、テーブル行けばいいわけでね。カウンターはお寿司食べたい人たちが待っているのに、早い時間に来て閉店までお酒飲んでしゃべっているだけっていうのは。ま、2度と来てほしくないから、それなりのことは言いますけどね。しょうがないですよ、それは。
早乙女 やっぱりカウンターに座るお客さんの気持ちがわかっているから、こっちもそれに応えようとするんですよ。でも、私たちからこんなこと言っちゃうと、なんかお客さんへの押し付けみたいになっちゃってね。ほんとは違うんだけどね。
小野 なるべくおいしものを、せっかく来てくれたからと思ってやりたいだけですからね。で、それを食べないでしゃべっているだけだったら……ひどいのになると、仕事の資料かなんか出してみんなで相談したりね。
――えっ? カウンターで、ですかあ?
小野 はっ。もう考えられないでしょう? その人たちは、オレたちは早く予約してカウンター取ったんだからいいじゃないかって腹なんですよ。
早乙女 雑誌なんか見ると、オヤジさんがおっかねえとかいろんなこと書いてあるけど、それはね、お客さんに期待に応えたいという気持ちがそうさせるんで、要するに、お客さんが持ってきたお金を十分に価値あるものとして使ってほしいというアプローチですからね。それがね、雑誌なんか読んでいると反対の意味に取られちゃう。
 黙って食って黙って帰る。次郎さんのお寿司を食うということは歴史を食うことだ、そして自分の歴史にも残ることだ、というね、そういうつもりで次郎さんに来てほしいと思うわけですよ。

単品料理店とトータルな料理店はどっちが難しい?

――さっきの話で、仕入れたネタが納得いかない状態だとすると、それを何かの方法でカバーすることは考えないんですか?
早乙女 ああ、私たちはカバーする仕事ってあんまりしないんだよね。要するに、この魚を最大限生かしてやろうって仕事なんですよ。この魚のここが悪いから、そこをわかんないように料理しようってことはできない。その場で最善を尽くすしかないんです。だからイライラが出てきたりするんですよ。
小野 天ぷらもそうだし、寿司もそうだけど、これがほかの料理だったら別のものに加工できますわね。それがまったく利かない。これがいちばん難しいところじゃないんですか。
 だから、和食なんかでは、刺身にして残ると昆布締めにして、それがまた残ると酢の物にしてっていうやり方をしていますよね。和食はそれが利くんです。私らはやりたくたってできないんですよ。いかにそのネタを、それ以上のものができないくらいにまで生かすか考えて出すだけのことなんです。考えってたってね、そりゃ切って握って出すしかない(笑)。ま、仕込みはありますけどね。
――たまさかおいしくなるということはないわけですよね。
小野 ない。だから、これはとてもじゃない、というときは全部引いちゃいますよね。
――でも、次郎さんだと、マグロがない、というのはありえないわけでしょう?
小野 ええ、「今日はマグロありません」って暖簾出しているわけにはいきませんので、それがいちばん困るんです。問屋さんのほうも、うちには常時近海のマグロを入れなきゃいけないから大変なんですよ。うちと付き合っていると向こうも使命感があるわけですからね。だから、1週間も10日もマグロが入らないと、どうしましょ? ってことになるわけですよ。
 うちだと「輸入モノのマグロはいらないよ」って言うし、「ナワ(延縄)のマグロ? 匂うから嫌だよ」って言うでしょ? 近海のアミしか使わない、釣りしか使わないとなると、おのずと限界があります。だから、問屋さんも犠牲払って、いいのを余分に買っておいて氷漬けにしておくようなやり方をするわけですよ。で、それが常にうまければいいですよ。だけど、相手は天然モノだからいつでもうまいとは限らないわけですよ。
早乙女 台風も来るしねえ(笑)。
小野 それがいちばん頭の痛いところなんだけど、だからといって、今日は台風で休むよ、いい魚入らないから休むよってわけにはいかないから、なんとかそれをカバーするっていうのは、いまみかわさんが言ったとおりで、そのものを最大限に生かすしかしょうがないわけですよ。
――そこが単品の料理店とトータルな料理店とのいちばんの違いですね。
早乙女 うん、だから私らが最大限生かすっていうときに、1つ1つの仕事の奥深さというのをとことん自分で追求しなくちゃいけないってことがありますよね。たくさんあるレパートリーの1つってことじゃないからね。もうそれしかないわけだから。そのなかでどこまで突っ込めるかということだから。
 で、そこに向かうときには立ち姿まで寸分の隙間もないところまで持っていかないと対応できない、というね。
小野 私はやっぱり、自分で言うのもなんですけど、単品料理のほうが難しいだろうと思うんですよ。
早乙女 オヤジさんはかつて和食全般もやっていたからね。
小野 トータルな日本料理というのはごまかしが利くと思うんですよ、ほんとのこと言って。寿司なら寿司だけになる、みかわさんだと天ぷらだけになる。片一方のほうはいろんなものを出す。焼き物出したり、煮物出したり、刺身出したりということになると、1つくらい悪くてもほかのものがよければ、あそこの料理店はいいなってことになるんだけども、寿司屋でも天ぷら屋でも、1つのものでずばり勝負しなくちゃいけない。
早乙女 私らから言うとね、ま、単純に言うとだけど、1年に何回かしか作らない料理と、40年も50年も作りつづけている料理とでは比べられないよって。で、向こう側から言えばね、なんだ、天ぷらしかできないのか、寿司しかできないのか、ほかになんにもできないんだろう? みたいなね(笑)。
小野 向こうはおそらくそう言うと思うんですよ。年じゅう同じものしかやっていないんだから、そんなものできて当たり前だろうって。
 だけども、例えばフランス料理食べに行っても、それから懐石料理食べに行っても、一から十まで全部おいしいかっていうと、そんなことはないんですよね。これはダメだけど、これはおいしいなって感じで。で、トータルして半分以上おいしければ、あそこの料理はちょっとよかったなってことになる。寿司屋とか天ぷら屋というのはそうはいかない。
早乙女 私なんかの理解からいくと、日本料理屋とかフランス料理屋というのは、なんでもやっちゃうデザイナーのようなもので、私たちみたいに日本画しか描けませんよ、それ以外はなんにもできないですよっていうのと違うんだね。ま、それは両方あっていいんですけどね。
――ええ、どっちが優位ということはないですね。
小野 そう。だから、お互いに難しさはあるだろうけども、ま、私、両方やってみて、やっぱり単品のほうが……。
――難しい?
小野 難しい(笑)。
早乙女 まあ、私はやったことないからな。オヤジさんが言うならそうなんでしょ(笑)。
小野 逃げ道がないんですよ、単品は。トータルな料理店の場合は逃げ道があるんですよ。必ずどこかに。
早乙女 たぶんね、レシピで済む料理とレシピじゃ済まない料理の違いなんだと思うな。
――なるほど。そのぶん毎日違う料理を考えなきゃいけない苦労もあるんでしょうけど。
早乙女 ああいう連中だったら1年に出す料理、300から500くらい持ってるでしょ? 中華だったら1000くらい持ってるだろうし(笑)。でも、これは何グラムでこれは何分間で、という形でだいたい済みますからね。手順さえきちっと踏んでいけば間違いのないものはできあがる。
 そこいくと単品で勝負している連中は、呼吸とか、時間とか、距離とか、そういうところまで全部料理のなかに組み込まないと勝負できないんですよ。
――なるほどねえ。
早乙女 やっぱし、そこの違いだと思いますね。ほんとにね、オヤジさんのあの寿司のなかには、呼吸とかね、お客さんが食べるまでの時間とかね、距離とかね、そういうものが全部含まれているわけでね。
――でも、本来プロの料理というのはそういうものじゃないんですか? トータルな日本料理もそれがインプットされていないといけないんじゃないですか?
早乙女 まあ、それはすべて1人でやらなくて済むかどうかの違いだろうね。でも、ま、イタリアンでもフレンチでもなんでも、次郎さんの仕事見て、「いやあ、まったく無駄がないですね」ってわかる人はいるよね。
――じゃあ、逆にトータルな日本料理を見て、感心した例というのはありますか? 例えば懐石料理とかで。
小野 懐石料理なんかは行くたんびに全部内容が違ってきますからね。だから、おいしいなってこともあるし、なんだ、今日はたいしたことないってこともあるから。
――じゃあトータルな日本料理が目指しているものというか、神髄ってなんだと思いますか?
早乙女 やっぱりハーモニーかな。例えば、京都の萬亀楼? あそこに行ったときに、なんでもない料理が出てきたんですよ。
 最初なんでもなくてね、次もなんでもない、あ、次もなんでもない、と思いながら食べていたんだけどね、気がつくと、どんどんどんどん坂を上っていくような気がしてね。で、ピークまで持っていくというのが、なんかすごいと思った。ああ、こういうもんだなあって思ったね。
小野 ははァ、なるほど、なるほど。
早乙女 気取ってね、どうだ! というようなところが何もないの。だけど、どんどん乗せていくんだね、こっちを。で、最後になって、「うーむ、すごいなあ、これは。日本料理だなァ」って思っちゃった(笑)。
 よそ行くとね、最近どこもご馳走のオンパレードなのよ。
小野 これだ! ってやつね?
早乙女 そう。どうだ! 次はどうだ! っていう。それが萬亀楼の場合は、何気なく、すっと入ってこられてね、ぐんぐん上まで持ち上げられてね、最後はすーっと抜かれてね、「うーん、やるなあ。やっぱし、さすが250年もやっている料理屋だなあ」って思っちゃった。ご馳走のオンパレードじゃないけども、これが歴史だな、日本の歴史だなって。
小野 そりゃなんでもないものを並べるというのは大変なことでしょ。「どうだ」っていう料理を出して、次はストンと落として、というのは楽なんですよ。だけど、なんでもないものをずっと並べて、最後になってさすがと思わせるっていうのはなかなかないでしょ。それは難しいと思いますよ。
――それは煮方の人たちも焼き方の人たちも、全員の呼吸がかなりきちんとできているんですね?
早乙女 というか、上にいる人にそれが見えている。要するにやきものでもね、ロクロ挽いていて途中ですごくいいときってあるんです。で、知らないやつほどそれをどんどん通り過ごしてダメな器にするんだね。「やあ、難しかったけどようやくできた」って。結果は難しいものかもしれない。でも、いいところはもっと前にあるんですよ。それを上から見ている人がいて途中で止めるから、いい料理になるんです。
――その、なんでもないものの逆としてよくありそうなのは、うちは明石の鯛のいいのを使ってますよ、とか、だからお造りだけは自信があります、とか。
小野 そう、そうやって自信のある料理でどーんと上げていって、で、また引いて、またどーん上げて、というのであれば、そんなに難しくないと思うんですよ。
 いまのみかわさんの言うように、なんでもないな、なんでもないな、というのをずっと続けて最高潮に持っていくというのはすごいなあって思いますよ。その日だけではないでしょうからね。その日1日だけだったらできると思うんですよ。
早乙女 そんな前もって予約したんじゃなくて、1時間半くらい前に電話したんだから。しかもこっちは9人で。
小野 だから、いつ行ってもそういう仕事をしてるということですね。
早乙女 「今日の今日で無理ですよね?」って訊いたら「いや、大丈夫ですよ」って。で、行ってね、勘定払う段になってからね、最初の予算、聞き間違っているんじゃないだろうなって思ったのね。その倍や3倍くらい取られるんじゃないかって心配になっちゃってね(笑)。それくらい持ち上げられちゃったわけ。
小野 それは私、大変だと思う。おっしゃったように、明石の鯛使って、次はちょっと落として、その次は三田の肉使って、というふうにやるんだったら、そんなに難しくないと思うんですよ。材料のいいの仕入れてくればいいんだから。だけど、それほど目立たなくて飽きが来ないようにずっと持ってくるっていうのは大変だと思いますよ。ま、それがほんとの料理だと思いますけどね。
――それはやっぱり、かなり上のレベルまで行って、それから初めてなんでもないところに降りてきたってことなんでしょうね?
早乙女 うん、それでなかったらね、みっともなくてダメだよ。要するに、一生懸命なんでもないように見せようと思って、自分たちは頑張るわけですからね。
 究極はより素人に近いところで仕事をしたいのよ、私たちはね。でもね、テクニック的に最高を極めた人でないかぎりそっちへ行っちゃダメなんです。その前にそっちへ行っちゃったら、もうどうしようもなくだらしのないものになる。
 そのあたり勘違いしている人が多くてね。こっちは、あり余るテクニックを持っていながら、ここまで使えばいいんだっていうふうにやっているわけだから。

髪の毛1本の差が大違い

――だから、そういう“なんでもない”というあり方は、次郎さんやみかわさんとも当然つながってますよね?
早乙女 うん、私たちもだいたい、たかが天ぷら、たかが寿司だからね(笑)。なんでもないっちゃあ、なんでもないからね。
小野 レパートリーということで言えば、寿司屋は最近、貝類だけでも10種類以上置くとか、季節に関係なくいろんなものを置くという店が多くなってきています。お客さんを飽きさせないように、いろんな種類をそろえてやっているけども、だからといってそれでうまいかっていうと、そうじゃないんですよね。寿司にしてうまいというのは、そんな数あるもんじゃないと思うんですよ。
 決まったなかで春夏秋冬変えていくっていうのが寿司であって、だから白身なんかも四季によって違いますからね。一年じゅう同じネタというのはマグロくらいで。そういうなかで吟味してやるのはいいんだけども、なんでもかんでも寿司にするっていうのは……。
 いま多いですよね、何10種類と置いている店。うちなんかせいぜい、17、18あ
るかないかです。寿司って元来その程度のもんで、年がら年じゅう何10種類もあるなんてもんではないです。
早乙女 うちなんか、年じゅう7、8種類しかないや(笑)。
小野 でも、それがいちばんうまい材料ですものね。
早乙女 よくテレビ局が来て、「みかわさんにしかない、みかわさんだから食べられるものって何かないですか?」って。
――言いそうですね……。
早乙女 そう、よく言われる。だから、「うちにあってよそにないものはない、よそにあってうちにないものはいっぱいあるよ」って。そうすっと、「みかわさんってじゃあ何か特徴ないんですか?」って訊くからね、「うちの特徴はそういうことだ」って(笑)。
小野 それから、お客さんがよく言うのは「おすすめのものください」ってやつですね。で、「うち、すすめられないものは何も置いてないんですが」って言うの。ま、あんまりしつこく訊かれたときだけですよ、そういうこと言うのは。
 もし私がこれとこれはおすすめですよって言ったら、「じゃあ、ほかのものは全部ダメ?」ってことになるでしょ?(笑) だから、「うちはおすすめのものしか置いていません」って。
早乙女 うちは刺身もやっているけど、「なんか刺身いいのある?」って訊かれたら、「うちは天ぷら屋だからロクな刺身はありません」って、もう最初から断ってんの。
 もうオレは絶対に売らない。そういうお客さんには何度言われても「うちはロクな刺身がないから、よしたほうがいいですよ」って延々とね(笑)。うちの常連さんでも10年くらい刺身出してもらえなかった人いるもの。あはははは!
――出してもらえなかったって……。みかわさんが出さなかっただけでしょうが(笑)。
小野 そういうのはね、誰かが本に書いているからそうなるんですよ。「この店に行ったら、その日のおすすめ訊いてから食べなさい」とか書いてありますからね。
 だからね、「おすすめ以外は全部ダメですか?」っていうの。こっちから「何がいちばんお好きですか?」って訊くのは別だけど……。ま、こんなこと言うから、あそこのオヤジは変わり者だって、こう言われるんだけどね(笑)。
――ほんとに変わり者のお2人だ(笑)。
 ちなみにみかわさんは、天種増やそうとしたことあるんですか?
早乙女 うーん、ないね。自分でやっておいしくできる天種はこれだけだ、ということですね。
小野 私はそれでいいと思うけどな。お客さんもおいしいものだけ食べられれば。これおいしいなって思えば、もう1回それ頼めばいいんだもの。それがいちばん自分で満足できる食べ方ですよね。
早乙女 うん、それとね、私の場合は自分で好き嫌いが多いんですよ。で、自分で食わないものはあんまり売らないようにしてるの(笑)。
小野 それはどこでも同じですよ。自分でおいしいと思わないものは売らない。そんなもんですよ。
早乙女 だから、よそのお店紹介するときに、自分でうまいなって思っている店なら、うちに来ているお客さんはみんなうまいって言いますね。
小野 同じ系統だからね、それはあると思いますね。味覚の系統がみんな同じになりますからね。
――まあ、味覚だけじゃないでしょうね、きっと。
早乙女 うん、感性もみな一緒。やっぱしオヤジさんのところに来てもね、絵が季節ごとに変わっていたり、やきものが飾ってあったり、店の雰囲気から清潔感から、そういうものがトータルでオヤジさんの感性ですから。トータルでオヤジさんですから。そこまで味わわないとつまんない。
――そのすべてが寿司の1貫1貫に姿や味として現れているんでしょうしね。
早乙女 そうそう。それのトータルが寿司なんですよ。
――雑誌にいくつか寿司の写真が載っていても、ご自分ですぐおわかりになりますでしょ?
小野 それはわかります、もちろんわかります。
早乙女 私なんか人のやつでも、「あ、これは天庄の旦那のかき揚げだねえ」ってすぐわかるよ。
――あ、他人のもわかるんだ(笑)。
早乙女 うん、20何年見てなくたってすぐわかる。人間が全部出てる。
小野 私もわかりますよ、ほかの人の寿司もだいたい。『寿司問答』ってこの間、出たばかりの本。
――ええ、嵐山光三郎さん著の。
小野 はい。それ見てね、兄弟弟子が「これはオレの握ったコハダ」だって言うから、「バカヤロ! それはオレのコハダだ。テメーはこれだ!」って(笑)。似てるのは似てるんですよ。自分のイメージとしては私の握りと一緒なんでしょうからね。
早乙女 似ているようでいて最後の髪の毛一本くらいの思いが形に出ちゃうんだね。
 あのね、いつも陶芸家と話をしていてね、例えばその人の作ったもの見て「この線はこのときに引いちゃダメだよ」って。もうちょっと自分の気持ちを高揚させてね、これでこのやきものをキメるんだっていう。「そこまで行ったときに初めて引ける線なんだよ」って言うわけ。それを違うときに引いちゃっているから、これは絵にならないんだよ、壺にならないんだよって。
 そうすっと、「たしかにそれは気分が高まらないときに引いた線です」って。「なんでわかるんですかね?」って訊くから「冗談じゃない。オレは天ぷら揚げているときにいつも同じことやっているんだよ」って言うわけ。
 要するにみんな同じなんですよ、モノ作るときっていうのはね。絶対にここでモノをつかむんだっていう瞬間があって、それがオヤジさんの寿司にもちゃんと現れているんですよ。
 握っていて最後のところで、別に力入れているわけじゃない。だけど、思いはどこにも逃がさないぞ、という瞬間がある。思いのすべてをこの一点に持っていこうとしているんだっていうね、それが最後の姿に出ているんですよ。だから、おいしいの。

年齢とともに厚みを増す人とは

――年代ごとにお仕事の仕方って少しずつ変わってきますでしょ? 一体いつ頃がピークなんでしょう? で、ピークを過ぎても第一線でやっていくときに、そこをどうやって補っていくのかっていうところをお伺いしたいんですけど。
早乙女 あのね、ピークは年代ではないね。ピークはその日その日で作り出すことができるんですよ。で、そういう点では年々上手になりますよね?
小野 なりますね。
早乙女 年齢的にそれが持続するかどうかは別ですよ。でも、自分で自分の最大限の力を試してみようかとか、そういう点ではますますちゃんと仕事しているなって実感はありますね。で、年々その実感が増している。
小野 うん、だから職人っていうのは、ほかの仕事と違うと思うんですよね。40くらいがピークとか、50くらいがピークとかないと思う。自分でいくらでも厚みが増していけるからね。で、みかわさんが言うように、その日によってピークを作り出せることができるっていうのは、それは私にも容易にわかるけどね。
早乙女 要するに自分でどうにでもコントロールできるんですよ。だから、その日に、30年なら30年のピークを持っていくこともできる。それはね、年々上手になります。
小野 私はね、40代の頃の脂が乗っている時期にやっていた仕事と比べて、いまも落ちていると思わないんですよね。違いと言えば、その頃よりは仕事が丁寧になっている気はします。
早乙女 周囲から注目されるだけに、よりミスをなくそうとか、高いレベルを維持していかなきゃっていう使命感にすごく駆られるようなことはありますね。
小野 ありますね。
早乙女 だから、いままでちょっと流していた仕事に対しても、常に真正面から向かっていかなきゃならないという意識が年々増えてきてますね。
小野 そう。だから、40代、50代というのは一般的にはピークだと言われているけども、その頃っていうのは、いまみかわさんが言ったように、流す仕事っていうのがあったんですよ。忙しいときにはとくにそうでした。この頃はそれができなくなって、どんどん慎重になってきています。だから私は年とともに仕事のレベルが落ちているなんて思ってないんです。
早乙女 私もどうもね、「最近みかわさんの仕事も落ちてきたね」ってどっかで噂されているらしい。「オレがいちばんよくわかってる」って笑ったんだけどね。素人にそんなことは言われる筋合いはない(笑)。オレがいちばんわかってる。
 オレは今年の正月にね、「絶対に去年に負けないだけの仕事をしよう。丁寧にしよう」って、自分で誓ったんだからさ。今年に限って余計その思いが強かったんですよ。で、そのときにね、お客さんたちに言われたから「冗談じゃねえ!」って(笑)。
――それを誓った理由って何か特別にあったんですか?
早乙女 別にないんだけどね、要するにここで手抜いたら、5年先、10年先、トップを走っていられないだろうって思ったんだね。だから、ま、正月だし、たまたま思いついたときにでも、きちっと意識を持とうと思ったわけですよ。
 ま、やっぱし、周りから何を見られているのか、そのなかで自分で何ができるのか、というのを意識しておかないと。自分がトップを走っているという自負があるし、この業界引っ張ってやるんだという思いもあるしね。そのなかで何をしなくちゃいけないのかっていうのは、常に自分で考えるようにしていますよ。
小野 若いときっていうのは、飛ばすっていうか、流すっていうのがあるんですよね。だけど、だんだん熟練してくると謙虚になります。より慎重になります。人の見る目も違ってきますからね。ある程度の年齢越すと。
早乙女 20年くらい前から「みかわさんの天ぷらはうまい」と言われるようになって、雑誌だのなんだのに書かれるようになったけど、いま考えてみてね、あのときの仕事なんだったんだろう? あれで褒められて、オレよく恥ずかしくなかったなって思う。
 その恥ずかしさをね、今後は絶対に味わいたくないという。やっぱり流して仕事していたんですよ。いまの自分から比較すると、ものすごく多いんです、それが。
――具体的に言うと?
早乙女 まあ、例えばお客さんから話しかけられると、ずっとそれに乗っちゃって手元のほうがおろそかになったり、忙しい日は仕事のスピードだけで、オレはこんなに早いんだぞ、みたいなところを見せたくなったり。
小野 うん、それがいちばん多いんじゃないかな。
早乙女 ですよね。早くてもオレは仕事のレベル落とさないぞって意識が働くのは、みんなに騒がれ出して、期待されて、その期待を裏切ってはいけないということを自覚しだしてからですね。で、もう一つ上の仕事をしだしたっていう。
 だから、いまになってみて、あんな仕事でよく褒められたなあって。その意味で、最近ますますお客さんとおしゃべりしなくなっているわけだけどね。期待を裏切らないためにはおしゃべりできないんですよ。そのぶんいまは、何倍も上の仕事をやっているという自負はありますよ。
――そういった自覚が分水嶺なんでしょうね。年々仕事が落ちていく人と、年々厚みが増していく人の。
早乙女 うん、自分で意識できるかどうかってことね。で、それをとことん自分のものとして受け止めて、ちゃんとやっていくぞ、というね。そういう気概を持てる人が厚みを増していく人だね。
小野 いま自分は77になってもやっているけど、自分としてはまだまだそれ以上の仕事をしたいっていうのもあるから、ますますおろそかに仕事できなくなってくる。年とともにどんどんどんどん見えてくるものがありますから、だから余計慎重になります。みかわさんももう少し経ったら、もっともっと慎重になると思いますよ。自然となってくるんですよ。
早乙女 あ、女遊びもしなくなって?(笑)
小野 あはははは……。ま、自分がそこに立っている以上は、自分でしっかりせねばいかんと思うわけで。
早乙女 やっぱしオヤジさんがね、うちに出るときには手袋をきちんとして、シミも取り、できることは全部する、そういう繊細さというのが毎日の仕事に生きているんです。
 私も自分の店に立っていてね、ずっと外のほうまで見て、ゴミ1つあったらダメなんですよ。ちょっとガラスが汚れているとかね、私が普段立っているところから見て、どんな些細なことであっても仕事に集中できる環境じゃないとダメなんですよ。ほかの人にしてみれば、そんな些細なこと別に気にしなくていいじゃない、っていうのが、オレにしてみれば丸太ン棒でぶん殴られたようなものなんだね。
 反対に言えば、それくらい感じられるぞ、という状態に自分を持っていっているんですよ。それで初めてあそこに立って仕事できているんだから。極端な話ね、なんか背中がちょっとでも痒いと、おしぼりでゴシゴシゴシゴシ真っ赤になるくらいこすらないと気が済まないの。もうね、哀しいほど細かいことを気にするんですよ(笑)。
――まあ、そのくらいの神経じゃないとモノ作りってできないですよね?
早乙女 そう。じゃなきゃね、モノなんか作っちゃいけない。

 

腕は落ちていなくても退きどきはある

――『料理王国』での連載のとき、話のテーマとして「モノ作りとはなんぞや?」というのが大きくありましたけど、そこらへんをもう一度みかわさんから話してくれますか?
早乙女 うん、ま、私がとくに言いたかったのは作家的な感性ってことね。私たちは職人なんだけど、その延長線上で自分の感性をフルに使ってモノを作りたいという意識が芽生えてきた人たちは、そこへ行くと思うんだよね。
 要するに職人で終わっちゃいけない……って、言葉で言うとそういうことになるけども、私はね、職人も作家も同じものだと思っているから。一緒のものなんだけど、わかりやすく言えばだよ、職人から一歩踏み出して作家になっていくという意識だよね。
――“職人”という言葉をややネガティブな意味に使った場合、自分のやっていることを深く考えずに、昔ながらの方法をそのまま続けている人ということになりますね。
早乙女 そうそう。ま、それはそれでいいんだけどね。
――ええ、もちろん。ただ、自らの意識でモノを作り出した場合、たんに伝統を踏んでいる“職人”とは違うわけですからね。
早乙女 そうだね。
小野 これね、第一条件として、仕事が好きな人じゃないとダメだと思うんですよ。年取っても第一線でやっている人たちって、1日寝なくたって平気で仕事する人でしょう? だから単純に仕事が本当に好きじゃないと、40、50になって挫折してくるんだと思いますね。
早乙女 それから、挫折しない人って結構スケベな人たちなんだと思う。人に褒められていい気になったりね。で、それが大好きなんですよ。褒められると恥ずかしいんだけど、無理して恥ずかしくないような顔してね、で、もっと褒めてくれるようなことやりたくなっちゃうんですよ(笑)。
――なるほど。その場合、お金は度外視してですね?
小野 私、そういうこと考えたことない。お金のことなんて。これやんなきゃ明日から食っていけないとかね、赤字になるとかね、1回も考えたことない。
早乙女 私、“江戸前”ってものを定義するときにね、それは損得抜きで、とりあえず最後まで突っ込んで仕事することができるやつ――そういう仕事を指すんだって。
 計算抜きで何ができるか? オレだったらここまでできるぞ、ここまで頑張るぞって、そういうものを江戸前と称するんであって、材料が江戸前だから江戸前になるってことはありえないですよ。東京の米使っているわけじゃないし、酢だって東京のものじゃないしね、もとになるものなんて寿司の場合まったくないんですからね。それで江戸前の寿司だなんてね、そりゃ違うんだ。
 要するに損得抜きで人よりいいモノ作ってみせるぞってことね、江戸前って。また、それを育てる土壌がここにあるわけだから。東京って場所が江戸前を育てているんですよ。そういう気分が育てているんであって、最初からね、醤油は何円かかって、ご飯は握り1つ何円かかってなんて計算してね、それじゃ江戸前の寿司になりゃしない。
――ただ、土壌という意味では将来的に危惧していませんか? 僕が思うのは、結局どこもモノがわかる人の率って同じくらいで、東京は人口が多いからそのぶん単純に多いだけという気もするんですけどね。
早乙女 うん、そうだね。
――だから、だんだん土壌も薄まっていくような……。
早乙女 でも、いろんな意味でお互いが触発されている場所だから、大丈夫じゃない? これからも。
――例えば回転寿司が流行っているという状況は?
早乙女 まあ、あれはあれで分けているでしょ。ちゃんとお客さんのほうが。
――話変わりますけど、次郎の旦那は、この間、「私自身が納得しない仕事になったら引退します」とおっしゃいましたよね?
小野 はい。
――それはたぶん素人から見たらまだまだできるのに、というレベルなんでしょうね。
小野 納得しないっていうのは自分の体力、それから自分の容姿。これ、ジジ臭くなったら握ってもらうほうは嫌でしょう? ヨボヨボしてシワだらけで、それで腰も曲がってきて、そういう人が握っているというのは嫌だと思うんですよね。
――寿司のレべルが落ちていなくても、ヨボヨボに見えたらやめちゃうんですか?
小野 はい、やめます。いくら寿司のレベルが落ちていなくても、お客さんから見たら嫌なんです、それは。その人が握ったものを口に入れるのは、やっぱり汚いって思うものね。
早乙女 だから私はいつも磨いているって言ってるでしょ? 軽石で体磨いているから(笑)。
――だって、みかわさんは普段から130まで生きるって言ってますものね(笑)。
早乙女 130まで生きるんじゃないよ。130まで仕事するって言ってんだよ(笑)。
――あ、はいはい……。
小野 まあ、私ら寿司屋が何をいちばん気にするかっていうとね、みかわさんはまだ箸で揚げて箸で出すけども、こっちは自分の手で握ってそのままお客さんの口に入る。だから、少しでもジジ臭く見えたら、お客さんにしてみたら嫌だろうなって思うんですよ。ましてやお金をいただいてだね、それで汚い年寄りが握ったらね。
早乙女 うん、商売だからね。
小野 だから根本のところは、手で握って手で出すということ。絶えず手はきれいしておかなきゃいけないということで、40代から手袋をして外さないというのもその1つのことで。
――仮に厨房で作っているスタイルだったらやめないかもしれない?
小野 それでもやりませんね。そういう年になったらやめます。やっぱり自分で落ちてきたのがわかったら哀れですからね。
早乙女 でも、たぶん次郎のオヤジさんもそうだろうけど、まだ自分では上がっていく余地があると思っている。いまだに上がり続けているから仕事しているんですよ。
小野 うん、そうね。いま自分で握っていて、で、30代、40代の人が握っているのを見て、自分の握りのほうが落ちてるなって自分では思っていない。それから、ま、3人なら3人、5人なら5人のお客さんに握って、その人たちを待たせるなんてことは、まだ私はしないと思います。
 それから、この頃は倅もいるし、若い衆もいるから、仕込みは任せているけど、朝出てきたら必ず全部つまみます。酢にしたものなんかは前の日とはまた違うし、前の日に浸けたものが必ずしもいいものとは限らないから。そうしないと、お客に納得して食べてもらうことができません。
 マグロなんかでもひと固まり入ったら必ず赤身を食べる、中トロも食べる、大トロも食べる。で、全部食べてみて、「これは若いから2日くらい氷で寝かしたほうがいい」とか「3日寝かせなさい」というのはいまだに私がやっています。
――そういう裏があって初めて、“なんでもないもの”ができるわけですね。
小野 はい。で、これなら出してもいいなってことを毎日納得して使うということね。マグロなんかでも、若いのもあれば、すぐ使わなきゃいけないのもある。大トロが筋張っててこれはカットしないと使えないな、というのもありますから。

次郎の旦那は人間国宝になるべきだ

――みかわさんはしょっちゅう言ってるし、次郎さんもそうでしょうけど、逆にそういう努力が見えるのは恥ずかしいんでしょうね?
小野 そうですね(笑)。
早乙女 だから、お客さんにね、「天ぷら揚げるのは難しいんでしょ?」って言われて、「こんなのは、片手片足でチョチョイのチョイだあ」って言うわけ(笑)。でも、裏でいろいろやってるから言えるのよ、そういうこと。
 要するに「片手片足でチョチョイのチョイってどれだけのことか知ってる? 3日くらいかかるよ、それ説明するには」って、こうなるでしょ?(笑) 海老揚げるのに21秒と23秒とではかなり違うって言えばね、それを説明するのに1時間半くらいかかるのよ。海老の生まれた場所から、運んできた場所、うちへ持ってきて冷蔵庫入っている時間、洗い方、むき方、粉の状態、油の状態、すべて計算したうえでの2秒の違いだからね。でも、まあ、一言で済ますには、片手片足でチョチョイのチョイだって。説明聞きたいなら3日覚悟してもらうけどさ(笑)。まあ、素人は面倒臭いこと言わないで黙って食っていればいいんだよー。あはははは。
小野 そりゃね、うちなんかもそうなんだけど、コハダのことを取材しに来た人が、「なんでこんなに選別されなきゃいけないんだ?」って。だから、「大きい小さいがあって、厚い薄いがあって、それを全部同じように塩して酢にしたら全部味が違うだろう?」って。
早乙女 そう、同じことやったら全部違っちゃう。違えなきゃ絶対に同じにならない。
小野 ね? だから、「あらかじめ調えておいて、お客さんに出すときにはどのコハダでも同じ味にしなかったらプロじゃないんだよ」ってことを言うんです。これだったら塩15分、これだったら塩20分っていうふうに全部変えてね、また、脂があるのとないのとでも塩の時間が違ってくるしね。そういうことはお客さんにはまったくわからないし、言ってないし、お客さんとしてはごくごく当たり前に同じ味に感じているわけでしょうけどね。
早乙女 あの連載の最初にね、「料理人はアーティストであるべきだ」と言ったのはね、いまのような話は素人は知らなくていいんだ、素人が満足するようにオレたちがお手伝いしているんだから任せておけ、そういう部分はどこまでもオレたちがやっていくからって意味だったんだよね。
 お客さんはうまいかまずいかでいいんだ。そういうお手伝いをするのがオレたちで、その意味では、絵描きであろうとも、陶芸家であろうとも、寿司屋であろうとも、天ぷら屋であろうとも、すべてアーティストでなきゃいけないって思ってんの。
――ま、そもそもこの本は、天ぷらや寿司を食べるお客さんとして読んでもらいたいのではなくて、仕事をしている一個の人間として読んでほしいんですよね。料理のプロを目指すわけじゃなくても。
早乙女 うん、自分の仕事に照らし合わせて読んでもらえれば、みんなわかると思う。サラリーマンでもわかると思う。
――そう思うんですよね。
早乙女 そうやって読んでくれたほうが、さらにわかると思う。連載の最初にも言ったけど、料理の本というとさ、ほとんど作り方になるでしょう? それはカラオケみたいなものでね、文字が出てくれば歌えるってもんで、モノを作るときにどういうことを積み上げればいいのかってことね。要するに、積み上げるべきものを積み上げれば自然と出てくるんですよ。で、最大公約数を見つける人間にならなきゃいけないぞ、それが名人というものだぞ、と。
――それはサラリーマンに置き換えても同じで。
早乙女 うん、そういう点では、剣術については宮本武蔵の『五輪書』みたいなちゃんとした本があるじゃん? オレは読んだことないけどさ(笑)。とにかく料理の本ではいままで1つもない。何を何グラムとか、どこの魚がいいとか、そういう話ばっかりで。
――それはわれわれ雑誌をやっている連中も、モノ作りの根本がないからです(笑)。
早乙女 うん、モノ作りの根本をとらえないで、あるいは基本的なことをなおざりにして、ただレシピだけで料理を紹介している。だから、そんな浅いところで料理は作っていないんだぞ、もっと奥深いところから積み上げてモノというのは作らなきゃいけないんだぞ、ってことを言いたかったの。
――そういうことを語れる人がいなかったというのもありますね。ま、総合的に語っている人もいるけども、どっちかというと文化論的になってるし。
早乙女 そうなんですよ。自分でやって、その動きのなかから言葉にしていないから、要するに頭のなかで考えて言葉にしているから、それは現実にマッチしていないんですよ。ほんとに文化論なんですよ。食べる人、本を読む人が、やっぱりそういうレベルで止まってるんです。
 で、もう一歩踏み込んでほしいというのと、そういうレベルの人たちに形としてわかってもらう意味で、次郎のオヤジさんに人間国宝になってほしいというのがあるの。
――あ、その話に行きますか?(笑)
早乙女 あはは……。要するに素人の人にわかりやすいんですよ、形として。料理の技術も工芸なんかと同じ線上なんだよ、いや、もしかしたらもっと深いところでモノ作ってんだよっていうのをわかってほしいので、私は「オヤジさん、人間国宝になってもらわなくちゃダメだァ」って年じゅう言ってんですよ。
――次郎の旦那は嫌なんですよね?(笑)
小野 ……(笑)。
早乙女 いや、オヤジさんね、そんなたいしたことじゃないんですよ。寿司が国宝になるわけじゃないし、オヤジさんも国宝になるわけじゃない(笑)。重要無形文化財っていうのは、たんにやっている仕事の技術認定ですから。で、オヤジさんの持っているものを次の時代に残していかなきゃいけないってことなんですから。
小野 はい……(笑)。
――聞くところによると、みかわさんの計画では、次郎の旦那で終わりにしたいんですって。最初で最後の料理の人間国宝(笑)。そうしないと、次から次へと雨後のタケノコみたいに人間国宝が出てきちゃいますからね。
早乙女 うん、あの代議士に頼めばなれるとかね。そういうのが出てくるとまずい(笑)。
 で、いまオヤジさんがトップの仕事をしているうちに、やっぱしそれを実現してほしいっていうのがあるの。ところがなかなかみんな動いてくれなくてねえ。あんまり言いたくはないけどさァ、この話をすると、「そうだよね、みかわさん、そうでなくちゃね」ってみんな言うんだけど、結局誰も動かないの(笑)。
小野 あはははは。
――いや、長い時間ありがとうございました。ほんとに貴重なテープですね、これ。だって、世界一の寿司屋さんと世界一の天ぷら屋さんの対談ですからね(笑)。他称と自称の違いはあるかもしれませんけど……。
早乙女 うん、オレはたしかに自称しているからな(笑)。

​(構成・文 由良直也)

​坂本素行 作 象嵌珈琲碗
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