​この世の野蛮と静かに闘うために

私のメールから2日経って、T氏から返信が届いた。それはメールでありながら、肉筆の手紙のような量感があった。一度紙に書いてから、わざわざパソコンで打ち直したのではないか? まさかそんなわけはないだろうが、以下のメールのように言葉を丁寧に紡いだ私信を、おそらく肉筆も含めて、21世紀になってからもらったことがない。私は、この人の生きにくさをふと思った。

 

由良さんのメールで「何かその野蛮さと静かに闘う術を知りたい」という一文に触れ、道が開かれる気がいたしました。私はジャーナリズムや政治活動を志しているわけではないので、「静かに闘う術」を知りたいと思っていると言ってもいいような気がします。つまり、野蛮と命懸けで戦うマリー=モニク・ロバンやナオミ・クラインのような行動力や才気、根性は私にはありません。実践について私の能力は限定されています。


ところで、カントの批判が現在もなお道徳的な基準を考える上で世界的に参照されているように、自由を大事にするには、闘う術を提供するものが必要です。この闘う術を拡散させたいと思うので、「文学の使用」というようなことを言うことになったわけです。しかし例えばジャック・デリダの文章よりも、思想の実践によってもたらされる効果のミシェル・フーコーの評定やフーコーの日本語訳の文章に、私はずっと親しみがあります。「野蛮さと静かに闘う術」といえば、フーコーを思い浮かべます。


闘う術をいっそう拡散させるために、文学の効用は私個人に不可欠です。なぜなら私は政治的な人間ではないのに、論理的に実践を断念するわけにはいかず、おまけに情緒のないものには関心がないからです。これが思想と情緒、文学の融合、人文学といったことばを用いる理由です。

 

「自分にはジャーナリストのような根性はない」と韜晦しながらも、マリー=モニク・ロバン、ナオミ・クラインといった極めて現代的なジャーナリストの名(しかも「野蛮さと闘う」という文脈において、例として挙げるのに、これほどふさわしい人物はいないかもしれない2人の名)をさらっと挙げているT氏の感度のよさに感嘆する。この人は、古今東西の哲学や文学の主だった書物をカバーしてきた一方で、『モンサントの不自然な食べもの』を観たり、『ブランドはいらない』などにも目を通したりしているのだろうか。少なくとも、幾分かの関心を寄せていることは間違いないだろう。

 

ちなみに《思想の実践によってもたらされる効果のミシェル・フーコーの評定》というくだりは、何を言っているのか私にはまったく理解できない。フーコーは、はるか学生時代に卒論の参考資料として『狂気の歴史』を読みかじった程度だし、『言葉と物』は最初から歯が立ちそうもなく、また『監獄の誕生』はまるで興趣が湧かないので、どちらも1頁も読んだことがない。だから、《「野蛮さと静かに闘う術」といえば、フーコーを思い浮かべます》というT氏の感覚は残念ながら共有できないのである。「野蛮さと静かに闘う術」を書物に求めるならば、私が真っ先に思い浮かべるのは石牟礼道子だ。しかし、石牟礼道子では話がすぐに終わってしまう可能性がある。フーコーを思い浮かべるT氏の脳髄に分け入っていくほうが面白そうだ。

 

いずれにしても、政治的な活動や市民運動でもなく、ジャーナリズムでもないところで、「この世の野蛮さと静かに闘う術」を語るのである。その点においてT氏と私は、ほぼ同じ形の雲を頭上に見ている気がする。たとえ幻想であったとしても、同じ幻想を見ていこうとするだろう。

 

ところで、政治的な活動ではなく、市民運動でもなく、ジャーナリズムでもないというあり方は、三島由紀夫言うところの「文弱の徒」というものかもしれない。しかし、そもそも三島自身の死に方が文学そのものではないのか? あんなに無意味な死に方をしたからこそ、みんな得体の知れない衝撃を受けたのではないのか? あれが政治的な死であったなら、もう少し楽に呑み込むことができたはずである。だから文学は侮れない。そして誰しも最後は、T氏の言う「文学の使用」に命を賭けるのだ、きっと。

 

とにかくT氏と会うことになった。場所はあきる野市、坂本素行宅だ。T氏と坂本さんは幼馴染であり、あきる野はT氏の地元でもあるが、そもそも坂本さんが今回の企画発案者なので、会合場所を提供してくれ、手料理のランチとデザート、コーヒーまでご馳走してくれるというのである。3月末。あきる野ではまだ桜が咲いていなかった。

 

「なんかね、うまくすると、かつてなかったような斬新な本ができるんじゃないかと思うんだよ」

坂本さんはいつになく、ものすごく楽天的なことを言う。

「そいでさ、幻冬舎あたりから出版されるといいなって思うんだよね」

「それはなんですかね、要するに売れる本にしなさいってことですか?」

「ま、そういうことですね」

 

私は売れる本を作るのが苦手だ。もとより才能がないからである。一部で評判になった本は作ったことがあるが、あくまでもごくごく一部だ。坂本さんに聞き書きした『糖尿病S氏の豊かな食卓』はその典型である。同書は最初、旧・料理王国社で出版され、初版で絶版になったものの、なぜか15年後に文春文庫で復刻された。しかしまた、初版であえなく討ち死にした。今は電子ブックをダウンロードしてくれる方が年間4~5名現れ、年に一度、100円とか200円とかの印税が入る。文藝春秋は振込手数料より安い印税を払ってくれるので心苦しいことはなはだしい。

 

坂本さんが私宛てに『孤独と夜の人文学』の一部分を送ってきたのは、T氏が真摯に書き溜めてきたものに、なんとかして日の目を見させてあげたいという思いからだった。同時に編集者およびライターとしての私の仕事も生まれるという、一石二鳥の友情(というか、ご心配)からだった。この日、私は初めて知ったのだが、T氏はなんと自費出版の会社に『孤独と夜の人文学』を持ち込んだのだという。坂本さんの発案は、それがうまく運ばなかったこととも関係している。

 

「自費出版だから、お金を出せば必ず本にしてくれるわけでしょう?」

「ええ、それがダメだったんですよね」

「それはまたどうして?」

「なんですかねえ、これは一体誰が読むものなんですか? って言われましてね」

「ええー? そんな馬鹿な話があるんですか。自費出版の会社も随分と良心的になったものですね」

 

自費出版の本でも書店に並べることがあるのは知っているが、それは要するに「あなたの本が書店に並びます」と言って夢を見させ、営業しているからではないのか。ま、よくわからない。憶測でものを言うのはやめて、自費出版の会社にさえ断られたという「問題作」が果たしてどのような内容なのか――前回紹介した《耐え難い孤独に苦悩している人たちに》から始まる冒頭のパラグラフに続く「孤独と夜の人文学」の第1章を全文掲載する。

孤独と夜の人文学 

第1章 序論――孤独、苦悩、希望

 耐えがたい孤独に苦悩している人たちにこの文章が届けられたとしたならば、この文章の真価が試され、役に立つかどうかがわかる。文学の使用、文学の使用価値、そしてまだ達成されてはいない絶対的な対話空間のような場、そのような願望を私は心に秘かに抱いている。使用価値。文章の真価とは、そのような基準で測り、批判されなければならない。複数の文章の中に多少なりとも面白いものがあり、楽しさや気楽さが届けられたらどうだろう。私は無責任に言っているのではないが、しかし何かの専門性に基づいて考えているわけでもない。ただ文章の意味はそのような対話の可能性、理解の可能性によって成り立っている。ボードレールが確か「交感」といったようなことを書いていた気がする。あやふやな記憶だが、どの記憶も私の場合確実なものはない。原始の、と言うよりか、漠然とした心象の素描にすぎないのかもしれない。

  2018年5月18日、10月7日、10月31日

 

 私は孤独の情景を知っている。秋の午後、荻窪にある古書店に向かう、やや下り坂になった歩道を歩く時の情景は、自分の影が路面に伸び、わびしい先の見えない孤独を感じさせる。荻窪駅の東にあるビルの1階のこの古書店は、良質な本をしっかり分類整理して売っていて、店内には客が絶えないけれども、私はここでも単なるよそ者であって、読書家でもなければ、書籍やましてや学に詳しいわけでもない。そもそも年に1回もそこに立ち寄れるかどうかといった具合なので、親しみようもないけれども、私はこの古書店を知っているということは、何の意味もないわけではないと思う。街の中で孤立した、おそらくよい意味ではだれにも関心を持たれない人物だが、ここにこうして文にしてみると、どこか縁のようなものがあるような気もしてくる。というのも偶然ではあるけれど、私は日本海の街にいるわけでもなければ、例えば山梨県にある古書店に向かっていたわけでもないのだから。私が知っている荻窪の、駅近くの東にある書店は特定の、実在する優良な古書店である上、私はそこから広告料をもらっているわけでもなければ、特別な客であるわけでもない。店先の廉価本の棚から始まり、入口を入ると右手にたくさんの文庫本の棚が続き、それだけでもわくわくしてくるような風情。当然店の奥は重要な書籍が始終動きがある中でも分類されて陳列されているのだ。そのような孤独の街の古書店に出かけよう。たとえそこに対話や交流が起こらなくてもいい。都会の街に出かけて、客がいて、店員がまともな書籍を手に取り扱って商売をしている、私がいなくてもやっている、あの荻窪の店のような、そうした古書店に出かけよう。

  2018年10月7日、10月31日

 

 幼年時代から、不可得ということがいつも自分のそばでささやかれていたような気がする。最も好きなものは繰り返し到達されず、その核心には手が届かないのはいつものことだ。何かを得たかと思えば、こどもながらにも虚しく、つかの間のうちにそのものは価値を減じてしまうような気がする。そうしてここに記す文章もまた定まることはない。私は始まることもできなければ、完結することもできない。それでも休日の朝か、正午に、南の空に輝く陽の光のような希望は、私にも時々訪れることがある。だがやはりそれはあくまで希望の想念であって、それが何かの文章やその他作品のようなものとして実現するわけではない。げんにこの私の書く文章が、わたしが考えるところの理想とは異なっていて、私の知っている理想を記述することは到底できないような気がする。

 こうしていつも可能的な空想の書物、夢の中の本は夢の記憶の中にある書店にあった。ところがこれまで本当は存在したことがなかった書物がなんとかここに現れようとしている。可能的な書物の出現がこの文章の綴りである。これは事実だが、記述された内容としてはやっぱり異なる結果になってしまうかもしれない。ただおおよそは見当がつくようになってきたことを表明しよう。私の不可得の著作は、きっと石田波郷『江東歳時記』や、冨田均『東京私生活』、萩原朔太郎『与謝蕪村』、二条良基『筑波問答』(群書類従第十七輯に収録されている)、森鷗外『伊澤蘭軒』などが叙述している情景、もしくはその著作のあり方というか、その姿に近いにちがいない。

  2014年8月10日、2016年8月21日、11月2日 2018年4月11日

 

 私は土曜日のある日、運動のため町の近くの山に上った。ハイキングや登山をする人たちにとっては丘のような山にちがいない。もっとも低山とは言っても簡単に上れるわけでもなくて、ふもとの方はかなり坂がきつい。ただ保育園児から小学生まで遠足にはちょうどよい高さと近さの山だ。

 その日はどこかの保育園の親子遠足であるらしく、公園のように少し整備されている山頂の周辺で、園児たちはそれぞれ自分の親といっしょに、ちょうどお弁当をひろげているところだった。山を上ってきた私から一番近くに見えた男の子も、両親といっしょにお弁当を食べるところだったが、その子のまことにうれしそうな顔を見て私は感動した。このようにうれしそうで晴れやかな表情を、私はあまり見たことがなかったからだと思う。私はこの子の表情をいまも鮮明に思い出す。

 自分の子がまだ小さかった時、やはり保育園の散歩の途中、たまたま出かけた私の母を見かけるなり、たぶん家に帰りたくなって泣き出したという話を聞いたことがある。きっとその子も親といっしょであることがとてもうれしかったのだろうと思う。

 子どもの幸福と平和は、立派な人間の理念であり、それ以上の政治的理念は存在しない。

               

 ずっとむかしから私は善やこどもの平和、礼や美についての美しい書物がどこかにないか思っていた。それは美しい書物なので、論争的ではないし、そこには自然をめぐる静かな表象がちりばめられているような文章が綴られているはずだった。もっとも例外もあって、日本語で読むプラトンの対話編は論争的だが、美しく楽しい。しかしプラトンの場合、自然の表象が散りばめられているわけでもない。もしかしたら私の理想とするそれは散文詩の集まりのようなものなのかもしれない。困ったことにそのような著作はめったに見つからない。そして仮にあったとしても、私の理想からすれば不完全なものだ。萩原朔太郎の散文詩もどうも感心はしない。芭蕉の俳文や紀行文は理想の著作に近い希少なものだが、およそこどもの平和という点では異なる世界の著作ではないか。また自然と情緒にあふれた著作が他にあったとしても、そこに思考が伴わないのでは退屈してしまう。『方丈記』はなつかしいし、思考を汲み取ることができるけれども、人々の普遍的な希望につながりにくいので、自由の感情にふさわしいとは思わない。

 こんなふうに贅沢な選り好みを繰り返すうちに、自分の理想の著作は自分でしか著述することができないのではないかと考えるに至った。ずっと選り好みをしているということは、それだけ否定的な記述を通じて、定かならぬ何かを、目標とする表現なり思想なりを規定し、限定してきているのではないかと思われ、それが淡い期待となった。けれどもいざ作文をしてみると、いくら書き出しても、私の考えや文章はいっこうに定まらず、少しも体をなさないので、そのうち自分が書ける様式で気ままなものを綴り、これを数少ない私の友達や知人に送って読んでもらえれば、少しはおもしろい気分を届けられるのではないかと思うようになった。友達に送ろうと思うのは、自分だけが読んでいてもしかたがないからだ。それに送る分には相手が捨てようが、読まなかろうが、それはそれぞれの自由だからだ。

 それにしても自分の書き記す文章が前後したり、書き加えたり、削除したりを繰り返すばかりで、一向に定まらないのは、作文の能力がないことを意味している。しかしこのように考えると、能力がないということは、作文を放棄することだけを意味しているのではなく、実践からも遠ざけられていることを意味しないだろうか。朱子学や孔子の教えに沿って考えれば、「私の実践」は私の思想の本質を構成していなければならない。私がだれにもこれを伝えなかったならば、私は実践の停止から私の思想の停止をも導き出さなければならないだろう。これは耐えがたい状況だ。耐えがたい非実践の状況を回転するには、作文を放棄することはできない。

 ところが私には時間がさほどあるわけではない。というのもその他にまだ私は内外の無力さについて抵抗しなければならないからだ。例えば私がなにかを学び、習得しようとしてその学習を終えると、その成果は終了とともにほとんど0になり、出発点に戻ってしまう。辞書を開ければ、調べたはずの語彙や語義はその頁を閉じた瞬間に失われ、先ほどのまだ調べる前の状態に戻るのである。本など読んでも、後半にかかれば、そもそもその本の最初の出だしがどうであったか、あるいは前半にはどのような展開があったか、ほとんど記憶に残っていないのはいつものことである。したがって、否、なにが「したがって」なのかも定かではなく、私にはほとんど前進というものがないという厳然たる事実は確実性を伴っている。たとえ習得するところがあったとしても、じつは入門のあたりを行ったり来たりしている感じ。この感じが私の現実存在の思考と判断の特徴だと言ってもいい。

 このように私が一つを学ぶには、匙で風呂の水を汲んだりするような時間が必要なので、ましてやひとつの文章を書くにしたところで、またいっこうに定まらないことになってしまう。だがどういうわけか私は学ぶことが嫌にならない。そもそもはなからまったく原典というものを理解したこともないからか、「礼」や「美」という漢字を見るだけで興奮を覚える。原典の読解、解読の困難さを前にして、たぶんそのような漢字を見るたびに慈愛のきらめきのようなものを想像するからだと思う。そればかりではない。世界史の中で人間の絶対的な無力さを痛感するようになると、礼楽や美のうるわしさと、一方で同時にそれらの深い、本当の無力を知るようにならないだろうか。ただ世界史の中で人間は、なんとかして現実の偉人の名前を記録し、継承もしてきた。私がその名前を挙げるとすれば、例えば孔子やイエスの名前を挙げることになるだろう。この二人の名前にこそ普遍的なものの指示を思い浮かべる。道徳の根拠はじつはこどもの平和以外どこにもないし、そうであればこそ普遍的な原理だ。

 無力であることが意味もなく無価値だとするならば、それは人の道を放棄することであり、完全なる物象化の実現、資本と暴力への従属を意味する。学はこの世界史の中の圧倒的な無力の認識に始まるのだが、しかしそれこそが人道の原理につながっているのだ。学にはそれ以上の意味はなく、もし他に何かあるとすれば、趣味か自己欺瞞の営みにすぎない。そしてかのマックス・ホルクハイマーがしばしば用いた「無力さ」は一層押し広がり、深く人間社会を規定し始めている。だから私はシュルレアリストのように、アンドレ・ブルトンに倣って、断固拒否しようと思う。

 

 ところで私がいつも考えていることのひとつは情緒と思想の融合である。情緒と思想、あるいは詩と思想の融合。この融合しがたいものが、触媒もなく、しかし私の中にあって生起しながら混交し、私であるような、私でないような事態とも言えるようなかたちでありながら、私の意志である力動を作り出している。この融合の現実の不可能性を知りながらも、これに表現を与えなければならない。現に私は思想や哲学的な思考を読み辿り、それぞれの理路に従って考えようとするとき、情緒を抱くことがある。ただし私の場合、決して哲学的な思考をしたり、論理的に推論し、議論したりすることはまったくできない。わざと自分の苦手な名前を任意に列挙するのだが、私はたとえば、デイヴィドソンやカント、ヴィトゲンシュタインやトマスのように考えることは、たぶん一文もできない。私は欧米の文化圏にいない上、かといって儒学や仏典に通じているわけでもない。私が思想や哲学的な思考を読み辿るというのは、まことにあやふやな、直観的ななぞりのようなことにすぎない。ただ確かに言えることは、私が思想や哲学的な思考を読み辿ろうとするとき、確かに私はそれを正確に理解することなどできはしないが、それでもなおも私ですら何かが触発されるのであって、しかもそれはなんらかの文学的な感動や官能と悦楽につながる、自由な感情にふれることにもなるのだ。自由、これはヘーゲルがひたすら重んじようとしていた力動ではないか。あるいはジャック・デリダが古い有名な著作の中で示唆していた生のことであると思う。足立和浩氏翻訳になる日本語の『グラマトロジーについて』(※)を読む限り、いきなり生命のことが接近してくる部分がある。

 私がそんなことを言っても、人はきっとそこに疑いをさしはさむちがいない。芸術の用いる仮象や文学は承認されるが、私の情感は決して承認はされない。もし私が試験をされれば、決して解答欄に記述することができない。なぜなら仮に、たとえどんなにプラトンの『テアイテトス』が好きであったところで、私はそれを理解ができないのだから。私はなんの技能もなくて、何者でもないからだ。しかしどのように思われたところで、私の矛盾の場にある、高温超電導みたいな思想と情緒の、または詩と思想のありえないような融和が、私の関心をずっと呼び覚まし続けているのは事実だ。このような矛盾と分裂が私を示し、指針の震えなのかもしれない。別の言い方をすると、詩と思想との間にいて、いつまでも自己矛盾している状態が私そのものである。この高温超電導の不思議。

※注=『根源の彼方に――グラマトロジーについて(上)』1983年10月25日。この本は、現代思潮社から出版された美しい、その時代を刻印したような装丁と活字で作られていた。大学時代、私がこの本を買えたのは、現代思潮社のコーナーを一棚設けていた書店が、通学途中の街にあったからだ。そこで田舎者の私は現代思潮社という出版社も知ることができたわけだ。いまこの書店はその街に存在しない。

  2016年11月6日、2017年6月8日、2018年11月4日、2018年11月10日

 

 1冊の本を夢想する。これは私の願望であり、到達できない希望の像である。

 1冊の本で、一つの思想体系に支持された善と美と慈悲、もしくは正しく生きる方法を辿ることができる、図書館のような本がないだろうか。まるで書物が散文詩集であり、かつ図書館であるかのような携帯私設図書館。書斎でもいい。しかし公共性があったほうがいい。この書物の理想。真と善と美にふるえているような官能と激情の図書館。

 

 仕事や学校から帰った夜の家にはどのような時間があるのだろう。もしも疲れや眠さがあったとしても、寝る前に1、2分で読むことができるような長さの、読むに堪える散文が書けたとしたならば、それはすばらしいことにちがいない。なにしろ長い文章や著作ではわからなくなってしまうので、とにかく短い、しかし短すぎない文章がいい。本には頁があるように、その頁の条件にかなう長さがあるはずだ。それを詩と言ってもいい。私にはそのような実用的な詩を書き綴ることが理想だ。「実用の詩」、詩の使用価値のことを私は言いたい。詩の使用価値。かなりブルトン風の挑発的な語ではないか。

 夜の部屋のカーテンの陰影やふすま紙の白さ、鴨居の木肌の色などをみると、至るところに夜の気配があって、それが私を落ち着かせてくれるような気がする。夜の散文や散文詩は、手軽に頁をぱらぱらとめくりながら、読み飛ばし、偶然開いた頁に趣があればこれを読み、その時の気分になじんで面白ければしばらく読み続けたりするようなものだろう。頁の紙にせいぜいが20行から30行ばかりの文章が小さい活字で印刷されていて、これを手に取って読みながら、冬ならばガラス戸の向こう側の雨戸の裏側の暗さや、夏であれば昼間の晴れた午後の空の色や雲の色を思い浮かべたりして、自然の情景を間近に感じることができれば、それは夜にふさわしい逸楽になるだろう。

 ただこれも勝手な願望であって、夜の気配に怯え、朝が待ち遠しい人もあれば、そもそも家に帰りたくない者も無数にいるはずだった。そのようなことを忘れているわけではない。しかしどこかに基準点のようなものを置かなければ、そもそも始めることができないではないか。何かを否定しなければ散文を始めることができないだろう。この最初の借りを返すにはどうしたらよいか、それはしかし無論わからない、私の能力には持て余してしまう課題だ。             

  2014年7月18日、2016年11月7日、2018日年11月10日

 

 この文章が野蛮と不公正を拒絶し、悪に抗議することに寄与できれば幸いだ。我々がかつて幼年時代に願っていたような正義は、世界史の中で迂回しながら、まるで彗星か何かのようにして、限定的にやって来るのだろうか。神の国はどこにやって来るのか。こどもの平和の扉を開いたのはイエスだったのではないか。だがイエスの理想はどこに実現されたのだろうか。いまだニーチェの読者でありながら、私は言いたい。道徳の根拠はイエスが開いたこどもの平和にあるのであって、ルサンチマンにあるわけではない。ただ言えることは、私だけが言う「こどもの平和」は、世界の多くの限定された地域に散らばってあるかもしれないが、たいていの場合は長続きせず、何らかの脅威に脅かされていて、ほとんど「神の国」と同様にこれまでの世界史の中にあっては幻影に近いということだけだ。

  2017年1月14日、2018日年12月12日

 

 カントが『啓蒙とは何か』において用意してくれた空間で、もし労働者の思想というものが可能であるならば、またもしこの文章の群が書物となることがあるのであれば、この書物もその思想の一端であってほしい。もしかしたらここでもまた公共性は、この北東アジアで個々人の可能性の平等の地平を開くにちがいない。万国の労働者は団結することができないで、多国籍企業やAI、軍事・警察力の監視下に置かれ、圧倒的な無力の状態に置かれているか、もしくは同志であるかもしれない者たちを憎悪と暴力をもって排除することで自滅の世界史を反復しようとしている。

 人権も公共性も時代遅れの幻想になってしまうのだろうか。しかし人権と公共性を捨て去り、放擲していったいなにを求めるというのか。この無益な競争と闘争と支配、寡占と収奪。人類史が局在的に認識するに至った希望の原理は学ばれ受け継がれたとしても、常に出遅れ、野蛮の速度に及ばす、嘲笑の的ではないか。

 考えてみるべきだ。一人の労働者が学んでいる間に、エンジニアや世界有数の研究者たちが相競ってAIを開発し、ビックデータを操作し、さまざまな支配制御のシステムを作り上げ、張り巡らせては、瞬時にしてはるか先に進んでいく。まるでその1日の到達点の違いは、ほとんど指数関数の曲線のような開きを作ってしまうだろう。

融和よりも暴力が、善よりも悪辣の方が、その効果、影響力において圧倒的に速く、そして強力である。対話的理性よりも、武器の使用の方が早く結果が出るのはだれもが知っている。

 かりに思想や教養が有効だとしても、だれもカントやヘーゲルのようにはいかない。なにせ人類史の中で二人しかいないのだから。そもそも労働者の思想とは何か。

だが学が学である限り、礼楽が礼楽である限り、遅延する、無用に見えて、最も空虚とは対極にある力が存在する。奇矯な考えかもしれないが、もしかしたら礼はまだ物理学では記述されていないような微細な力なのではないか。礼は啓蒙の領域にあり、その出発点であり、北東アジア史の偉大な理念、普遍性を指し示すものだ。礼はまた普遍的な社会的共通資本だとも言えるのではないか。生命の側にある有、実である有は啓蒙の側にあるだろう。従い、消費し、搾取されるだけの存在にはない、自由の霊感、生命の充実の絶頂にふるえている特異点というのは、追放された文学の理想だと言いたい。

  2018日年12月12日、2019年1月19日

 

 序論と言えばついヘーゲルの体系を思い浮かべてしまう。もっともそれはほとんど、パンを食べたりコーヒーを飲んだりした時にヨーロッパの街並みを思い浮かべるといった体の意味にすぎない。高校生になって、学校の近くの本屋で初めて手にした岩波文庫の翻訳によれば、ヘーゲルという人は著作ごとに一々序論を書いていて、それぞれの著作が秩序立てて整備されていた。私はヘーゲルの整備が好きだ。後に梯明秀の名前を知ったのは大学生協の書籍部で古風な装丁の著作を見つけた時だったが、その中のヘーゲル論で確か始まりについての議論がなされていた。大学生協の情景も懐かしく、当時はまだ大学生が上滑りをし始めた時代であって、それ以前の学生の気風が幾分か残っているような時代だった。

 ヘーゲルの、この特異な序列と、いつまでも続いて途切れることのない特殊な言説の一貫した叙述に感嘆しない方が不思議なくらいだ。その体系の、この分類だった始まりの始まり、これが美しさや官能にどうして関係しなくてよいだろうか、と思った。学際的研究からシュルレアリスムまで、学芸というものは自由の理念を志向しているにちがいないが、その中でも始まるにも始まれないような、繰り返し望見し、案内しなければならない部分、それが序論ではないか。ただそのような序論はもうひとつ別のことも暗示している。ヘーゲルの体系はヘーゲルで完結してしまっていて、数学や論理学の発展継承のように、その体系の運用が教科書化されて万人に手渡されることができず、ただひとりヘーゲルその人しか運用、反復利用できなかったということはきわめて問題だった。体系であるのにもかかわらずその汎用性のなさ、方法としてのわけのわからなさはいったいなにか。それは方法というよりも、一つの作品の体系である。

 そこでここでは、体系としては成り立ちはしないが、それでもとにかく寄せ集めの「道具箱」といった体裁の文集ができたらいいと思う。私は書きつける。書きつけることだけが得意だ。なぜならすぐにも次の瞬間に忘れてしまうからだ。書き出して文集に放り込む。これしかできないのだ。たとえ書き出していたとしても、今度はそれを読み出し、読みすすむ間に、既読部分がわからなくなるので、私の文章は、私にとってすでに全体として不可解な謎になってしまうのである。けれども文集の中のそれぞれの文章が作品として鑑賞に堪えることができたならば、それは私の本来の希望だ。

 

 孤独と夜の人文学は、「希望の小学」とでも言い換えられるのかもしれない。「小学」は私が実際に小学生だったころは私を圧迫し、おびやかして、悩まし続けたのだが、小学校を卒業して何十年も経ったいま、私からみれば重要な意味があることに気づくに至ったのだ。土台が劣等生であった自分からすると、次の文は甚だ窮迫した課題だ。

「例えば『小学』というテキスト、これにすら及ばない状況・地点にあって、なおもあなたは真であることが可能か」。私は12世紀の劉清之という人と、朱熹が編纂した『小学』の内容に確実に追いつけない。生涯私としての深刻な状態がここにある。

 実際に明治書院の新釈漢文大系3、宇野精一著『小学』を手に取り、この東洋の学の入門の体系を読んでみては、自分がこどもであったならば、これをどうやって卒業なんかできるのだろうかと思う。それどころか大人も後半の年齢である私は未だに『小学』を理解することはできない。だから現在もまだ、言ってみれば万年留年小学生だと自信をもって言うことができる。しかし留年小学生というようなものがあったとして、その自分から見ても、『小学』を門人と編集したばかりか、注釈というかたちで『大学』、『中庸』に生気を吹き込み、現代にまで生きたものとして手渡してくれた朱子の偉大さには感動してしまう。

 しかし依然として私の位置は少しも変わらない。私は真であることが可能か。私が万年小学留年生だとして、いかなる領域においてもなんら発言権もなく、いつまでもあたかも保護の下にあって養育されているような立場にあることは不自由である。真理を支給され、それに従うだけの人間は人間と言えるのだろうか。もし経済的な自立もできなければ、それは自己責任であって、怠けていたことになるのだろうか。そしてしまいには暴力か悪、もしくは憎悪に立たない限り、発言と効力の場から退場が勧告されるのだ。しかしこのような他人に判断を預けられた人生を強要されるならば、多くの者はたちまち信義や道徳、意欲、節操、品位、情義等を失っていくだろう。植民地状態か、不自由か、従属か、あるいは追放無視か、日々そのような選択を迫られているのが、ちょうど私のような者である。

 だが万人の不服従を望むのであれば、ここにかえって連帯の道の可能性がある。『孤独と夜の人文学』がめざす希望の小学とでも言うべき理想には、小学校の段階ということはもちろんのこと、あの北東アジアの啓蒙を夢見た宋学や朱子学への期待が込められている。しかし同時に、宋学に反対し、批判した伊藤仁斎に端を発する町人の啓蒙思想、あのテツオ・ナジタが教えてくれた伝統もまたここで言う小学、もしくは啓蒙の語に含まれてもいる。『孤独と夜の人文学』は、もし書物としての存在が与えられるとしたら、「この書物、ここは自由に無縁な地帯ではないよ」と呼びかけたい。

 私の知識や判断力の総体は最初から傷んでいる上、しかも停滞し衰退し始めているが、しかしいまもなお発達途上にあるような気がする。つまり十の記憶がくずれ去っても、一つを新たに学べば、後退しつつもわずかに発達しているにちがいない。私の場合小学校段階で、何かを習得するための素地が傷みくずれてしまっているように思う。私の基礎はゆらぎ続け、積み重ねができず、いつまで経っても知識という知識が定着しないからだ。何か学んだとしても、必ず習得した知識のしくみに空洞があって、説明はおろか、正確に反復したり伝達することができず、自信が持てない。私の説明はいつでもどこでも立ち往生してしまう。確信をもって考えを述べることはまったくできない。ちょっと質問されれば忽ちにして答えに窮し、すぐさま自身の議論を停止しなければいけない。もし仮に何かをたまたま論じることができたとしても、その途中に、一体何を論じていたのだろうかとわけがわからなくなってしまう。このような次第なので、応用や思考を繰り返すうちにたちまちのうちに不正確な判断を導き出してしまう。

 このようだから、学ぶことに関して、私はいつでも入門状態に逆戻りしてしまう。しかしこのような状態であっても、デカルトやカントが打ち出した学の、真理の平等に与ることができるのではないかとも思い、その到来を期待している。そしてその上でさらに北東アジアの自由は可能か、とも思う。アマルティア・センの教えもまた私にとって希望を投げかけているように思う。

 私の始まり、入門、そして明晰判明な原理は、この何もわからないということ、入門状態の真理、これしかないという確実性を語ることである。あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。真理に至ることが永遠に遅延される事実としての真理が、これである。

  2019年1月20日

 

 私に手が届きそうなのは、「小学術」とでも言えるようなものではないか。人類は万人のための万人に可能な学術の完成をみたことがあるのだろうか。小学と言えば、毛沢東の農村調査序文の「小学」や、朱熹の『小学』につながっているような気もして心強い。レーニンはすでに科学的な調査統計の文献を利用することができたが、毛沢東はその調査そのものから始めなければならなかった。私にも接近可能でありそうな学術というものが存在しないか、という期待。

  2017年9月1日、2018年11月11日、2019年1月20日

 

生きていく上で何か頼りになるようなものはないのかといつも考えてきた。神仏は存在しないのだが、しかし神仏がなんであるかを知っている自分は、宗教的な人間であるにもかかわらず、宗教を共通の文法にすることに甚だ抵抗がある。あのカール・ヤスパースが行った戦後間もないラジオ講演の『哲学入門』の到達地点に驚かされ、その新潮文庫の日本語訳の頁から吹いてくる風が私の共感を呼び覚ます。つい最近古本屋で買った、カバーのない、この105円の新潮文庫の風は、時代の風だ。

 人間生きていればなかなか毎日が順調というわけではなく、いま困らないのはたまたまであって、困ってから考えればいいというようにしていたいところだが、日々深淵を覗くようなことがあると、そうも言っていられない。生活苦や突然の病気によって、ふだん気にもしていなかったような苦痛や死の不安によって、始末に負えないような気分になることはないだろうか。あるのだ。戦争の世紀ではなくても、現に事故や災害、脅しや暴力、憎悪と差別、貧困と不自由、監視や陰謀など、恐ろしいことやあらゆるたくらみや収奪で世の中は満ち溢れている。困難にある人ばかりではなく、人間である以上、世の中にある様々な脅威に曝されているのではないか。そのような強大な脅威や危険や苦悩に対し、私は非力で、なす術がないような気がする。というのも脅威に対抗するような術を私は教えられたり、授かったりしたのだろうか。またもし教えられていたとしたら、それはいつどこでだれから何を教えられ授かったのか。間違いなく徹底したこの無力。

 人々がこのような無力に無防備に曝されてていないなどと誰が言えるのだろうか。例えば、100人の人間がいて、論語を糧に、あるいは聖書を拠り所に生きている者が何人いるというのだろうか。そのような者がいれば、その人たちは幸いかもしれない。しかしそれは多くはなく、もっともらしく「神は死んだ」と言われている時代に属して、ほとんどの人々は徒手空拳、圧倒的な無力の中を弥縫してその事実に目を背けているだけではないのか。

 戦争や飢饉はもとより、脅威をもたらす技術や資本の運動、国家制度、人間同士の、あるいは民族間の憎悪、またそれによって立つ、もしくは寄生する様々な組織、機構、あるいは私の与ることができない様々な専門的真理に対し、私はほとんど、いや全くと言っていいほど抵抗の手段を持っていないように思われる。あるとすれば憲法の基本的人権の規定が頼りではないか。ところがその我が国の憲法すら、攻撃の的となっているということは、世界史が示しているとおり、人間による人間の道具・奴隷化、抑圧と暴力、支配と収奪だけが一貫して欲され、現時点にあっても追及され続けてきているということではないか。この抑圧操作と支配による収奪の歴史が人類史を席巻してしまったのはいつからか、もともとなのかはわからない。人類史のほとんどがそのような世界史と等しいのかもしれない。私はそうした世界史的な広範な知識も学識も持ち合わせていないので、何もわからず、せいぜいが、AIを操る組織機構に包囲、利用、圧倒され、やっつけられるだけが関の山だ。

 世界史において、何百何千万の人々が自由を奪われ、搾取され、殺され、いまもまだ人々は繰り返し蹂躙され、虐殺されようとしている。人類は同胞を道具として貶め、押さえつけ、むしり取り、叩きのめすしかたで何千年も進歩なく繰り返し、いまだに別の自己保存の手立てを見出すことを学習することがほとんどできない。進歩したのは頭脳知識集団だけが操る、物象化した制度や機構、国家、企業、良心の制御を離れた脅威の技術ばかりだ。たとえ別の自己保存の方法を見出しても、眼前にしながらそれを運用することはできないほど呪われた歴史に捉われている。人類の頭脳はどのような能力に恵まれていたとしても、蒙昧に覆われ、偏頗を免れることがほとんどない。どうしてなのか。生育と発達の過程で、人間の知能、知的活動と比べて、慈愛がほとんどずっと希少であるからにちがいない。中村敦夫氏が慈しみに基づく約束事を提唱されたが、世界史は別の次元で運動しているようだ。

 しかしこのように内外からの脅威に耐えることができるかどうかわからないにしても、無を摑まされているよりは、頼りになる心情や語句、詩の断片など、文字によって伝える機会があるのではないか。そういう前方からやって来る光、そのような光輝を見ることができる可能性が全くないとは言えないのではないか。個人はあまりに非力で、拠って立つ思想や精神からも遠ざけられてしまってきたので、やはり何か手軽に使用できる技術が供給される道、方途がないものかと思う。世界史の比較的最近の例で言えば、シュルレアリスム革命が一定の自由をもたらしてはくれたかもしれないが、現代ではその自由はますますその反対のものに転化しようとしている。あの夢見られた自由を奪う恐ろしい趨勢や勢力に対抗する手立てを講じることができないものなのか。

 いざという時、少しも役に立たないかもしれないが、どこかに思い出して帰っていくところがあるのとないのとは気分的に違う。文学にできることといえば、せいぜいがその程度のことだと思うが、その程度のことすら怠ってきたのが文学の裏切りを物語っている。

 帰家という理想が文章をなして文字になっているとすれば、その気分を想起したり、脅威をある程度緩和したりするのに役立つかもしれない。さらに「文学の使用」というようなことを考えることができるとすれば、まさにこれが文学の効用というものだ。

 私にとって書物の装丁や紙質、活字の風情はたいへん重要で、気分はそこにも宿っている。高等学校の体験からすれば、岩波文庫のヘーゲルの『精神哲学』や、学燈文庫の『更級日記』や『方丈記』、国民文庫のマルクスの『哲学の貧困』を手にした時の衝撃は絶えることなく、いまも想起、反復されて力が漲(みなぎ)る感じがして、とてもありがたい本だったと思っている。

 しかし『更級日記』や『方丈記』が生きていく上での拠り所と言うのではちょっと頼りない。例えば聖書や『論語』と比べたら、日用の原典としては心許ない。確かに方丈記は生きる上での普遍的な条件を示し、生き方の一端を示してくれてはいるが、だれにでも役に立つ方法のようなものを展開しているわけではないし、作者の諦念のうちに留まっているようだ。

役に立つかどうかは重要なことだ。追い詰められたとき、その状況を抜け出たり、忘れる手立てを提供するのが文学の本領でもあるのではないか。気を伸るということをアジアの漢文化圏で考えるなら、いくら田園詩人であっても、范成大や陶淵明ではむずかしすぎて、日本語訳や語釈がなければわからないし、助けになるにはちょっと縁遠いような気もする。易には、易を通釈してくれる易者に頼むほかないので不便だ。もうちょっと自分の家で手軽に役立てられるものがないか、そうした技術、これがほしいと思う。内山節の自然哲学は文章も平易で、自然への関心に親しみを覚えるが、内山氏の著作集の文章や著者の「僕」という一人称は私の共有するところではない。

 私のような者にも対応する、すなわち万人に近い効用を考えると、必要な技術には、厳しい訓練が必要だったりせず、高度な知性や体力、精神力を必要としないことは重要だ。技術を手にする前に、努力して砕けてしまっては、万人に行き届かない。とは言っても、謎も複雑さもなかったならば、まるで文学ではなくなってしまう。文章が、順序から言えば一列に連なり、始めがあって結びがあるのは、このことを意味しているように思われるが、これも読み通すのに困難であったら、やはり役に立ちづらいことになってしまう。そこで拾い読みができる文章、使用に耐える文章を編み出すのが大事だと思う。つまり読むだけで自ずから成長するような、そうした手軽な、しかし処方箋ではない、作品。鑑賞とともに成長があるような効用こそ、文学の使用と言えるだろう。このような発達の弁証法は方法というよりも、作品として自由へと開かれている。

  2017年5月7日、2018年11月5日、同年12月1日、2019年1月20日

 

 年末の山は遠い。私は伯母にも育てられた。幼年時代、伯母は私をよくわらび取りなんかに近くの山へ連れて行ってくれた。その伯母に育てられた私でも、年末の山を歩いて知ったのは50を越えてからの話だ。山は私の場合、自分の町にある低山にすぎない。自分の町の山。11月の末には山茶花の散る山は伯母に連れて行ってもらった山とは違うが、これが私の始まりの情緒とどこかつながっているような気もする。歳暮は陽の傾くのも早いのに、あらゆる可能性の輝きが山からの遠い眺望のどこかにつながっているような気もする。            

 洗い張り、梅干し、ピーナッツ味噌、朝鮮漬、みぼし、煮干、茶摘み、鰹節けずり、擂鉢での胡麻擂り、鉄板の上でのコンクリート練りをする職人さん、じつぼさん、「桃の花」というハンドクリームのようなもの、これらの物事は、私の幼年時代の出発点にある物事で、ほとんどが伯母が携わり、あるいは伯母から教わったものばかりだ。私の育った風土はこうしたものが日常にある穏やかで、平和な世界だったのだ。

そしていまは『猿蓑』の冒頭の情緒、これが現在の私の一つの到達点だ。ここで言う到達点はしかし理解の到達を意味するのではなく、50後半ようやくにしてこれを再発見したということにすぎない。この、冬から始まる作品の始まりの理想。

  2018年11月13日、2018年12月1日

 

 バタイユの愛というようなものがあるのではないか。もちろんそれはバタイユその人の思想の企図や規模とは異なる、私流の都合のよいイメージであるにちがいないが。学生時代に友達に教えてもらわなかったらまったく知らないままだったかもしれない、特異な人。イエスの愛とは異なるが、しかし、そのような贈与、そのような流出、あるいは宣長の言う色好み、もしくは大和心。これらは現実的にあるものと、可能的にあるものの議論にも通じているような、生命の何か。ニーチェの体験した真昼の光のような。

 バタイユという不思議な名前から連想される、とりとめのない人物像や思想は、私にとって偉大な異文化との対面、遭遇であって、この驚き、驚嘆の喜びと感動を伴っている。

そしてその共通する感動は、私の場合には、寛容の涵養、寛容の広がり、これがリチャード・ローティの言う、「道徳的な進歩」の一歩につながっていくような気がする。

激情のある者たちの図書館があれば、私はまちがいなくそれが好きだ。

 

 イエスの愛の革新性はたぶん、親たちに客人から遠ざけられようとしたこどもたちを、「幼子こそが天国にふさわしい」として歓待したことに輝いている。そんな思想家がそれまで世界史の中でどこにいたというのだろう。福音書という不思議な語と語感に伴う情景は、冬の午後の空や夕方の風、あるいは早春の人気のない午前中の川原の砂利である。来客から遠ざけられた子供だった私はこうした風景を知っていたにちがいないが、いま思えば福音書の中に断片的に残されている輝きがそこに宿っているような気がする。

  2019日年1月20日以前より

 

 大和心というと、私は即座にある新聞記事のことを思い出す。

東日本大震災のとき、高校生たちが特別養護老人ホームの老人たちを津波から救うため、泣きながら避難活動に当たったという記事である。

 

 私は2019年4月の時点で、急いで付け加えなければならないことが出てきた。それも2点あって、第一は、私がその名前を明確に知ったばかりのジュディス・バトラーという哲学者の言葉と、第二は「普遍主義的な憂国の意志」、あるいは「普遍主義的な生産性・創造力の称揚」である。この第二の点は、時代の不可解な税制と金融政策の末に、我国の危機の本質が、大人の意志能力の低下と視野の狭さに根差しているのではないかという認識に基づいている。

 第一の追加。私の知らないカリフォルニア大学バークレー校から来たというジュディス・バトラーという哲学者の、日本での講演の日本語訳を読んで、自分は共感するところが多い。だからといって私がこの女性の哲学者を好きになったわけではない。

 この3月に私はまったく偶然に、何を求めるわけでもなく、ある書店で学生時代から世話になっていた『現代思想』という雑誌の臨時増刊号を手に取ったのが始まりだった。青土社の『現代思想』は、私の望む特集をいつまでも組まない上、どんどん関心のない領域の特集を続け、とうとうついていけなかった思想誌である。その臨時増刊号を手に取り、このジュディス・バトラーという人の特集を知ったのだ。どこかで耳にした名前かもしれないといういつもの私の感覚はあったような気がする。本当のところを言えば、さして興味があったわけではなく、書店並びに出版業界に投資するためにこれを買ったのだ。ただ『現代思想』は美しい雑誌であることに変わりがない。また買ったからには、現代の思想の動向の一端を知ることができるのではないかという期待で、これを少し読んでみた。

 この人が来日して日本の大学で行った講演がよどみない現代日本語にすっかり翻訳されていて、私はありがたかった。我が国の文化水準はかなりバリアフリーであって、私はついていると思った。バトラー先生は講演で、まったく自然な聞きやすい語り口で、ご自身の学生時代の思索と哲学の本との出会いから説き起こしていた。ご自身が1970年代に、両親の自宅の地下室の棚にあった重要なテクストを読んで哲学を発見した体験があり(※注の著作、10頁)、そこで「私が真剣に問いかけた問い、「どのようにして私は善き生を送るのか」という問いは、過去45年間のあいだ、私にとって変わることはまったくありませんでした」と言うのだった(前掲書、16頁)。そしてアドルノの名前が出てくるのだ。

《ソクラテスへの補足として役立つアドルノの重要な問いがあります。すなわち、私たちは、悪しき生のなかで、善き生を送るにはどうすればいいのでしょうか。言い方をかえれば、この生が生の価値を損なうような権力と支配に満たされているのなら、そしてある特定な種類の生だけが価値ある生とみなされるのならば、私たちは、生の「善さ」が不均衡に分配されているということをどうやって政治的に考え直せばよいのでしょう。》(前掲書、17頁)

 この名立たる異国の女性の思想家は、持続的に何十年も同じ問いを問い続けていたのだ。

 そしてまったくアドルノやミシェル・フーコー、そしてジャック・デリダの後の時代にふさわしい論述を展開していくように思われた。

《「私はいかに生きるか」という倫理的な問いを、社会的で政治的な問いに取り組むことなしに追求することはありえないということが分かります。その問いとは、この生、私たちが共有している生が、なにをつくりあげてきたのかという問いです。そして、生きて、保護するに値する生と、定期的に無視と破壊にさらされる生とのあいだの違いをつくっている権力の形態とはどのようなものなのかという問いです。

「生きている、あるいは生きようとする「私」についてのこの持続する問いは、私の学問的な著作にとって変わることのない問題になっています。》(前掲書、17頁)

 ここでも変わることのない問題が提示されている。

《もし私がいかに生きるべきかを今なお問い続けるのならば、わたしはこの個人としてだけではなく、その善きあり方が別の存在と結びついている個人としても、問いかけることになるでしょう。これは私の倫理的な問いが、社会的な問いになったことを意味します。私が発見したのは、自分が住む世界の再生が私の働きにかかっており、私の働きは世界の再生なくしてはないということだったのです。これは、私たちが愛と呼ぶものはなんであれ、人間と動物に及ぶだけではなく、私たちが生きる環境、すなわち生命を可能にし、持続可能にしている世界にも及ぶということです。私が善き判断をくだすためには、科学について十分に知らなければなりません。科学者たちは、自分たちが行っていることについて正しい問いを発するために、倫理の哲学について十分知らなければなりません。したがって、善き生について問いかけるためには、あるいはさらにこの共通の大地の上で共有している生についてまで問いかけようとするなら、現代の学問の分野横断的な文脈を認めなければなりませんし、世界にたいして心を尽くして言及し続けなくてはなりません。》(前掲書23~24頁)

 このように、アメリカを何度も訪れた、あのなつかしいジャック・デリダを思い起こさせ、そして批判理論を視野に入れたこの論述は、そのまますぐに次のように続けられるのだ。

《生に、複数形の生に、生きているものの未来のあり方に言及し続けなくてはならないのです。私たちが善き生をいかに生きるかを問うことができるのは、私たちが生は共有されていると理解されるときだけです。また、生きているものたち(人間であれ、人間でないものであれです)がもつ複雑な共有性を、私たちのもつ言葉に翻訳できる手段を私たちがもつときだけです。しかし、誰が生き、誰が死んでいくかがあらかじめ決められていること(これは、戦争においてもっとも苛烈に、また重大な帰結をともなって引き起こされます)に疑問をつきつけることができるのは、私たちが自分たちの知識がいかにも前もって制限されており、私たちがなにを知り、なにを知るべきではないかが、決定的な仕方で方向づけられているということに批判的になったときだけなのです。》(前掲書、24頁)

 私はこんなに一度にたくさんの引用文を書き写したことはない。そもそもこのような日本語文をこれまで読んだことはない。私はジュディス・バトラーという思想家を知ったばかりで、よくはわからないが、もっともだと思うことを話し続ける人だと思い、学ばねばならないと思う。

※注 ジュディス・バトラー「この生、この理論」、坂本邦暢訳、『現代思想3月臨時増刊号第47巻第3号』2019年2月20日、樫田祐一郎編、青土社。

 

 現代の我が国の危機は相当深刻な水準にあると思う。それというのも、まっとうな生き方への関心が薄れてしまい、おまけに知的な好奇心も衰え、同時に他人や国の将来への関心も薄れてしまったように思われるからだ。端的に言えば、礼が失われつつあるということか。

 そこで私は私自身が「憂国」という古めかしい言葉を取り上げ、その正しい文法を心得ているか、試みにここで記述してみる。

 憂国は愛国の僭称を否認することも含んでいる。憂国は国の歴史的財産を貶め、毀損する者たちが勢力を得たときに発動される念慮である。愛国者は自他の品位を慮って、罵詈雑言(ばりぞうごん)は口にしない。だから年がら年中自分が気に入らない者たちを罵倒していたりはしない。帝国主義時代、愛国を騙(かた)る者たちが勢力を得て、結局我が国は灰燼に帰してしまった。「愛国」だからといって、愛国の実現を意味するわけではないことを歴史は教えている。

 自らは税を逃れて国外に資産を保有しながら、我々を指導する者は愛国者とは言わない。もしそのような者が、我国の政策に関与しているのだとしたら、国を憂えるべき状況だと言える。

 愛国者は私利私欲の徒ではなく、機会の平等を考える。ちょうど平安時代のように自分の子を2代目の政治家にする者は愛国者とは言わない。なぜなら国の政治が堕落するからだ。

 公共財をたたき売りして利権を得たり、身内に利益誘導をする者を国の賊とは言っても、決して愛国者とは言わない。公共財をたたき売りしている者たちがいるとすれば、国を憂えるべき事態だと言える。

技術者を搾取し、その知的労働や知的財産を収奪して、使い捨てる経営者は、経営を騙(かた)る国の賊ではあっても、経営者ではなく、ましてや愛国者ではない。技術者を冷遇することを許している国は憂えるべき状況である。

 国民に真実を知らせず、現実とは異なる幻想や日常の些末な話題ばかりを見聞きしているように仕向けることは、公共の機関のすることではない。このように国の将来を見誤らせ、公共の利益に反するものは亡国の機関である。

 そして国民からものを考えることを奪い、目先の話題にだけしか関心がない愚か者になるように仕向ける者。これは国を亡ぼす者であり、愛国者ではない。そのような連中が放送局を牛耳っているとしたら、それは憂国の事実だ。

 愛国者で首尾一貫しようと思うなら、このように確かめてみれば、普遍主義は避けられない。

 ところで普遍主義的に生産性を向上させようとしたならば、労働の強化による労働者の搾取ということは回避されなければならない。普遍主義の立場から考えれば、生産性は多様性への知的な関心を保持した経営に宿るのであり、それが経済民主主義も推進する社会が理想となるのだろう。先送りによって己が無能をごまかし、怠惰に胡坐をかいた「たかり」の精神ではなく、日本人の伝統の誇れる部分、惜しみない労働の精神、我らの先祖の魂だ。利己主義、ご都合主義、怠惰、たかりの精神とは、他人の労働に寄生し、そっくり返っている連中の根性だ。結局国を売る者たちの根性である。

 普遍主義的な創造力は、技術や知的財産の平和利用を意図する。北東アジアの平和は、日本人の創造力の地平であり、その批判、限界である。これが憂国の希望の活路でなくてなんであろうか。

 では普遍主義的な道徳、倫理が具体化するにはどのような実践があるのか。現代社会において一つの創造的理念は「よい子の政治」である。良い子の政治が秘かなうちに広がり、その国を憂える男や女たちが、ヤンキーや権威主義者の身勝手な世界観や行動原理に疑念を抱き、連中に対してそっぽを向き、税や公共財を私物化する連中を捕捉しながら、他方でしらばくれたまま静かに「よい子の政治」を幾何級数的に増殖させていったらどうか。軍事的な現実も空想的に無視するような平和主義の僭称ではなく、知らないうちによい子の政治が国民の支持するところとなったら、これはこれで非現実ではない平和主義、事実と歴史に基づく世相をもたらすことができるのではないか。政治とは事実に立つことであり、かつ女子供が守られる政治でなければ政治とは言わない。修身、斉家、治国、平天下とはこのことだ。

 事実を軽んじ、この疲弊した産業の憂国の事実から目をそらし、過去に対象化された国民の労働、国の財産をくすねることは、亡国の振舞いである。我が国の誇れる財産は、お天道様に恥じないようにたゆみなく努力してきた「忘れられた日本人」の精神と労働である。

 これはよい子の政治の実践のための本である。

ここで『孤独と夜の人文学』の第1章が終わる。正直、私には簡単に読み解ける文章ではない。読者の皆さんはどうだろう? 次回はこの第1章について闇雲に訊いた内容を記す。だが、これがかなり気が重い。というのも私のインタビューがとっちらかっていて、その録音を自分で聞いていられないほどだからである。しかし、前に進まなくてはいけない。

​(第2回了 2019.8.11 由良直也)

隠れ哲学者T氏の『孤独と夜の人文学』を読む

 第2回

​   よい子の政治の実践のために

​坂本素行 作 象嵌珈琲碗
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