我こそはモノ作りのプロである

早乙女哲哉『天ぷら「みかわ」名人の仕事』番外篇

ワタクシ由良が早乙女氏に聞き書きし、2003年に発刊した『天ぷら「みかわ」名人の仕事』について、本人から「もう一つ付け加えておきたいことがある」と言われていたが、なかなか書く場がなく、このサイトを開設することで、その使命を果たすことができた。話したかったことは、上のタイトル通り。これが工芸と関係ない話と思ったら大間違い。モノ作りの根幹はみな同じだ。

​この2書がそっくり?

自ら和紙に記した仕事のあり方。「身を心を時を小さな小さな点に 小さな小さな点を深い深い点に」とある(意味は本文参照)。​書も無手勝流ながらこの腕前である。
​これはさすがに工芸から逸脱する話ですが、カウンターで食べる心構え、すなわち客としてフルに満足して帰る方法については、以下を読むとさらによくわかります。『天ぷら「みかわ」名人の仕事』所収、すきやばし次郎の小野二郎氏と早乙女氏の"神様対談“です。同書が絶版なので、図書館以外では、ここでしか読めません。

​宮本武蔵と語るスタンスが一緒だった

(=早乙女)15年前になる? 俺の本が出たすぐあとに、うちに食べに来ていた編集者が、「あの本に書いてあることは、宮本武蔵の『五輪書』とまったく同じですよ」って言うんだよね。

へー。その編集者って、どういう方ですか?

どんな仕事をしているか、詳しくは知らないんだけどさ、女の人なんだよね。あの当時30代だったんじゃないかな。「早乙女さん、絶対『五輪書』の愛読者なんだと思ったんですよ。だって、本の中身が一緒だから」って。自分自身は何度も『五輪書』を読んでいると言っていたよ。

30代の女性で? ずいぶんと面白い人だな。

俺は『五輪書』なんて読んだことないよ。だけど、その人がそう言ったとき、あ、それは絶対に同じだろうなと思ったね(笑)。宮本武蔵も作家ではない。結局、自分の体から染み出したものを書いたわけじゃんね。

一説によると、弟子が書いた可能性もあるみたいですが、要するに理論が先あるんじゃなくて、自分がやってきたことをあとから分析してことばにしている。しかも、一から十まで剣術の話なんですよね。シンプルな剣術のマニュアル本といっていい。

でも、マニュアル本といってもさ、付け焼刃でできちゃうというのが、今のマニュアル本なんだよね。

はいはい、その点は明らかに違います。すべて弁えてなんぼ、という話ですよ。まあ、宮本武蔵は生涯無敗ですからね、何をどう書いたって、歯向かえる人はいないですよ。それもみかわさんとよく似ているところなんですけどね。

俺は、宮本武蔵が剣術指南を書いた、それを『五輪書』という名前にしたということを聞いて、それはすべてがつながっているという意味で付けたんだと直感的に思ったね。

 技術だけではない、道具だけでもない、心構えだけでもない。鍛錬の話をしているうちに道具の話をしなくちゃいけなくなったり、道具の話をしていたら心構えにも触れなくちゃいけなくなったり、そういうものが次々と出てきてしまった。書いているうちに、すべてをリンクさせないと何も言えないことがわかって、それで『五輪書』と名付けたんじゃないの?

なるほどね。五輪ってア・バ・ラ・カ・キャ、つまり宇宙だから、この本も精神論の類と思い込んでいたけど、そんなことはなかった。

​自分でリズムを作ると自分らしさが出る

ちょっと具体的に見ていくと、たとえばこういう箇所があります。

《兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし》とあり、《今此書作るといへども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをももちひず》と続く。みかわさんも、なんでも無手勝流を標榜しているし、本を読んでも役に立たないと言っているし(笑)。

前に料理人で本を作った人が、昔の人はこう言っていた、なんかの本にこうあるとかって、そんなことばっかり書いていたんですよ。だから、自分の体から染み出てきたことばで書いたほうがいいよって言ったことがある。

『五輪書』にも、そういった批判というか悪口がちょこちょこ書いてあるんですよ(笑)。ほら、ここ、《今世の中に、兵法の道慥かにわきまへたるといふ武士なし》ってあるでしょう?

俺も人の悪口言うの、大好きだからなあ(笑)。だけど、『五輪書』って意外とラフな感じだね。もっと硬いのかと思った。

「拍子」について書いてあるところも、みかわさんがよく言うことと似ている。《物毎に付け、拍子は有る物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたき所也》。そして《諸芸・諸能に至りても、拍子をそむく事は有るべからず》と。

 さらには《先づあふ拍子をしつて、ちがふ拍子をわきまへ、大小・遅速の拍子の中にも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子を知る事、兵法の専也》とあります。リズムを自在に操ることで、相手の優位に立てるということですね。

自分の作り出すリズムというのは、なかなか人が真似できないものでしょう? で、その人それぞれで持っているリズムの中でモノを作ると、そこに自分らしさが出てくるんですよ。

 人真似ではなくて、ゼロから自分のリズムを作らないとテクニックも自在に操れない。テクニックというのは、自由自在に操れて初めて自分のものになるわけでね。なんだか知らないけど今日はうまくいったとかね、そういう料理人が結構多いんですよ。そこいらへんが、なかなかねえ。

みかわさんいわく、「できちゃった料理」ですよね。リズムやテクニックというのは、文章で言うと文体です。文体を自分で作ることができて初めて、プロとして人に読んでもらえる文章になる。だから、みかわさんの話はどんな分野にも共通する話ですよ。みかわさんというか、宮本武蔵というか(笑)。

プロたるもの、今がベストか確認すべし

昨日もカウンターでお客さんが食べながら、「プロとはなんぞや」みたいな話をしていた。で、その中の一人が「旦那、プロとはなんですかね?」って聞くからね、「いや、そんな簡単には言えないけどね、いつも私は、自分の仕事は今がベストか? という確認を取り続けていますよ」って言ったんですよ。

「その確認を取ったらそれが自分のデータになる。それを私は何10万回も重ねてきたんですよ。で、その何10万回の確認を今使っているわけ。それがなければ、プロみたいな顔して立っちゃいけないんですよ」と。

 そういう話をしたら、その中で社長らしき人が「いやあ思いがけず神髄が聞けたなあ。今日はありがとうございました」って帰って行ったよ(笑)。俺は常に「今がべストか?」という整理をつける。整理がついたら、自分のものになっていくという思いがある。その結果がプロとして客の前に立たせるんじゃないかと思うよ。

前に「仕事は8割程度をキープしていくのがいい」って言ってませんでした?

8割でやりたいというのは、そもそも何も考えなくても95点くらいの仕事はできるんですよ。だから、残りの5点を8割でやりたいということ。そうしたら楽だからね。お客には絶対気がつかれないで仕事もできるしさ。

なんだ、そういう意味だったのか。ちょっと勘違いしてました。

ま、NHKでも放送したけどね、自分でちゃんと整理をつけて、仕事はこうあるべきだ、というのを宮本武蔵にみたいに紙に書いておいたんですよ。「身を心を時を小さな小さな点に 小さな小さな点を深い深い点に」ってね。それを丸めておいておいたら、鈴栄さん(経師の鈴木源吾氏)が、ちゃんと裏打ちしようよって言ってね。

 要するにいかに最小公倍数を作るのかという。それが所作としていちばんきれいだし、いいモノを作れるわけだっていう。常に目標をそこにおいているんですよ。大きく見せるのはみっともないしね。

動きにまったく無駄がないってことですね。

常に自分の中でそれは意識しているよ。いつだったか、しみづ(新橋の寿司店)の若い衆が勉強に来たからね、カウンターで食べている間に見ていて、1ヵ所でも無駄な動きがあったなって思ったら、箇条書きにして持って来い、と。全部説明してあげるからって言った。

 人から無駄に見えても、それはわざと自分で作ったものだから、それは無駄ではないんですよ。そこまで自分の計算だからね。「間」だとか「呼吸」だとか、自分を高めるために作ったものだから。

それはね、文章でもありますよ。人が読むと無駄に見えるけど、自分の中では無駄ではない。それを削除すると「味」がなくなる。

1尺5寸の「間」を使う

「間」や「呼吸」の話で言うと、俺は店を作るとき、1尺5寸を基準にしたわけだよね。カウンターの幅、あれ45センチなんですよ。で、俺の持っている箸も45センチ。まな板を置く仕事場の幅も45センチ。その45センチを距離としてとらえるのか、時間としてとらえるのか、そのあたりがモノ作りには大事なんだけど……。

なぜ1尺5寸?

それはね、なぜ箸が1尺5寸なんだろうってところから始まったのよ。今ご飯食べるときに使うのはその半分だけどね、そもそもの箸は1尺5寸なんだよね。それで、腕に尺骨があるじゃん。要するに30センチの骨だから、箸は尺骨の1.5倍の長さ。その幅でスペースを作ってあげると、隣の人に迷惑がかからないし、自分も最小限のスペースで動けるわけだよね。それを基準にして店を作ったの。

 その45センチを俺は作るためのシステムとして使っているわけだけど、お客さんも45センチ持っているということだから、その距離か時間を、食べるためのシステムとして利用することになるわけ。

アララララ、ものすごく深い話だな。

だから、お客さんはカウンター席を予約して来たんなら、俺に対して「できるだけの仕事をしろ」と言ったことと同じなんだよね。逆に言えば「私も余すところなく食べに来ました」という意思表示だと思ってほしい。それがなければ、カウンターで食事するのはただのファッションになっちゃうからね。

 要するにお互いが100%の力でぶつかる場としてあるということですよ。親父と話すために座るんじゃない。第一俺はしゃべらないからね。しゃべらないけど、それだけの仕事はするからさ。そこいらへんの話がね、どこにもないんですよ。

無意識にやっている人はいるでしょう? ことばにはなっていないかもしれないけど。

いや、要するに無意識だと、ことばにできないんですよ。ことばにできないと、データになっていかない。だから、宮本武蔵や俺の次元とは違うんだ(笑)。

まあ、そうなのか。そうなんだろうな。

​(2018.5.5  由良直也)

​坂本素行 作 象嵌珈琲碗
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