天ぷら名人が語る「使えるやきもの論(3)

​●2003年3月

本稿は、料理人早乙女哲哉氏の仕事哲学を、私由良が聞き書きした『天ぷら「みかわ」名人の仕事』(発行元プレジデント社)から選んだ。本書はすでに絶版。アマゾンでは2018年3月6日現在、6383~8800円でユーズドが出品されている。人にやたらと配らず、たくさん抱えていればよかった!
j前田正博 作 色絵金銀彩皿​

なんでも盛れそうな器はなんにも盛れない

一般の人は、作家モノの器というと美術品を買うみたいに思うから、なかなか手が出ないということがあるでしょ? 普段着のシャツを買う程度のことなのに。この間も言ったけど、3000円かそこらで100万円に負けないようなものがいっぱいあるのにね。


とくに若手の作家の値段なんてたかが知れてます。すごくいいものも混じっているし、ま、すごく食器にならないようなものも混じっているけど(笑)。まあ、そういったなかで自分が作家と一緒にやきものを勉強していくっていう楽しみがあるじゃない?


で、単純に好き嫌いで買ってもいいんだけど、器には料理に対する大きさっていうのがあるわけね。料理よりも一回り大きければゆったり見えるとかさ。だから漠然と買うんじゃなくてね、いつも自分が作っている料理の大きさとか分量を、一人前なら一人前で把握しておくということだね。皿に手を当てるか、煙草なら煙草、ハンカチならハンカチで、なんとなく基準みたいなものを持っていれば、器を買うときにイメージがつかめるということだね。


それからさ、これはとても重要なことだけど、だいたいみんなが買っているのを見てると、「これはどんな料理にも使えそうでいい」って言うんだよね。だけども、なんでも盛れそうな器って、実際使ってみると、なんかいま一つの器なんだよね。なんの遊びもない、ただの容れ物なんだよ。


逆にコレというイメージに当てはまるような器のほうが、あとでなんにでも使って見せられるんだよ。うん、そういう器のほうがなんでもハマる。何か一つハマる器に限って、ほかのものに使ってもハマる。そこいらへんをね、みんな勘違いしているんだ。


よそ行って食べてもね、「お、遊びがあるな、この器」って思うのは、やっぱりそれなりの目的があって作ってある器なんだよ。そういうモンなんだね。作家の意図というか、芯がある器だからこそ見立てられる。見立てて逆に奥行きが広がるというか、そこに遊べる要素があるんだね。だから、なんにでも使える器というのは、じつはなんにでも使えない器なんだ。


で、そういったことを念頭において器を買おうとしたときに、例えば口のあるものかとね、ぐい呑みしてもそう、徳利にしてもそう、そういうものを見たときに、ただ水の出入り口であるというんじゃなくてね、口をつけるとはどういうことか? このぐい呑みで飲んだらどんな味がするんだろうか? っていうね、なんか必ず自分でチェックできたらいいね。そういうチェックができたら、そのぶん器を買う楽しみがふくらむということだから。


お燗で飲むんだったら肉厚の口が欲しいなァとか、冷やで飲むだったら手が切れるほどピシッとした口が欲しいなァとか、この器で飲んだら同じものでも甘く感じるかなァとか、同じものでも辛く感じるかなァとかね、常にテーマを持って買うんだね。肉厚な女性の唇とキスするみたいだ、とかさァ、冷たい女の人とキスするみたいだとかさァ(笑)、そういうものを常に感じながら買っていくんだよ。


だから逆に言うと、目的の見えない器は買わなくなるということだね。重さという点もあるしね。手に持っていかにフィットするかっていうこともある。あと、温度もあるよ。手に感じる温度も目に感じる温度もあるよね。


やっぱしね、料理作るやつに器の知識が必要なように、器を作る人にも料理に対して知識がないとなァ。料理に興味があったり、自分で料理を作ったりすると、それがなんらかの形で反映されるわけでしょ? 料理をわかっている作家なら、遊びがありながら料理の邪魔もしない。


料理の邪魔をしないってことは、いい意味で完成された器ではない。要するに七分で止めている。で、料理を盛ってみたときに十になる。使って初めていちばんいいところにくる器ってものがほんとなんだよ。展覧会の会場で十に見える器っていうのは、料理を盛るとどっちも死んじゃう。器も死んじゃう、料理も死んじゃう。


こんなこと言うとアレかもしれないけど、女の人はとくにそういうものを買う傾向が強いんだよ(笑)。うん、最初から十に見える器ね。それじゃないと安心できないところがあるみたいね。男のほうがロマンみたいなものがあってね、器選びにわりかし遊びがあるのよ。全員とは言わないけどね、料理を盛る前から手いっぱいの器というのは、だいたい女性の好みですよ。


最初から十っていうと、色絵磁器なんかに多いと思われているけど、それは一概には言えないよね。盛るところに隠れる絵が描かれていれば料理を殺すことはないでしょ? 食べ終わったときに絵が出てくるという楽しみもあるわけで、そこいらへんの感覚のある器かどうかってことね。絵が描いてあっても料理の邪魔にならない、なおかつ食べ終わったときに見るに堪えうる作品であるとかさ、そういった計算のできた色絵もあるわけだからさ。​

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​坂本素行 作 象嵌珈琲碗
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