​この閉じられた世界から外へ出よう

金工の重要無形文化財保持者◎大角幸枝に訊く「工芸復興の可能性」(1)

南鐐花器「風波」

2018年11月 柿傳ギャラリー(新宿)にて

大角幸枝(おおすみ・ゆきえ)

1945年、静岡県に生まれ。69年に東京芸術大学美術学部芸術学科卒業してのち、鹿島一谷、関谷四郎、桂盛行に師事し、金工の技術を学ぶ。国内外で展覧会への出品を重ね、87年に第34回日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞。88年から1年間、文化庁芸術家在外研修員として渡英。91年に第4回MOA岡田茂吉賞で優秀賞、2010年に紫綬褒章を受賞。15年、鍛金の技術で重要無形文化財保持者に認定される。女性の金工作家としては初の人間国宝。鍛金により伸びやかなフォルムに打ち出した器に繊細な布目象嵌を施す作風を個性とする。

​大角さんが2016年に書き下ろした『黄金有情――金工のものがたり』(里文出版)。序文には、本書は金工の技術書ではなく、自分史を緯糸にして金工という仕事の内容やモノ作りの楽しさを語ったとある。金工の入門書として面白く読めるが、その実、多彩な技術を余すところなく書き記していることにおいて、現時点ですでに史料的価値が非常に高く、まさに「金工大全」といえる一書だ。

11月に新宿の柿傳ギャラリーで開催された「大角幸枝× 前田正博 茶の湯のかたち展Ⅱ」で大角さんに初めてお会いした。不躾に「金工は滅びないか? というテーマでインタビューをお願いしたいのです」と言うと、大角さんはにこりともせず、「金工が滅びたら、すべての工芸が滅びますよ」と言った。なぜなら、金工は古来第一等の工芸だからだという。たしかに、やきものなどよりはるかに素人の出る幕のない分野。つまりビギナーズラックはあり得ない世界。換言すれば金工は、モノ作りの道理をきちんと弁えている人たちの芸術である。(2019.1.1  由良直也)

新しいものを積み重ねていかないと

面白くない

(=大角)まあ、ずいぶんと小さいレコーダーなんですね。

ええ、カセットじゃないですから(笑)。ICレコーダーですから。

カセットはもうそろそろ使えなくなるでしょ? 私、邦楽が好きで、ほとんどカセットテープで聴いているんですけど。

邦楽って浄瑠璃とかですか?

そうそう。今、邦楽というと言葉の意味が変わってきちゃっていますが、私が好きなのは琴や三味線。純然たる日本の邦楽です。

お仕事中にお聴きになる?

ええ、もっぱら最近は能を聴きながら仕事しています。

能の謡とかですか?

ええ、謡を聴いて。

眠くなりませんか?

なりませんよ。

鉄槌で打ちながら聴くんですか?

聴きますよ。だって、単純な仕事ですからね。

ご自宅に鍛金の防音室があると伺いましたが、その中で謡を聴きながら?

ええ。

ちょっと不思議な光景ですね(笑)。

そう、少しおかしな状況かもしれない。

普段は毎日作っていらっしゃるんですか?

いや、そんなに精勤しているわけじゃないですよ。

どこかで教えていらっしゃる?

今はどこも。

作品オンリー?

はい。展覧会に追われてやっているという。でも、コンスタントに作り置かないといけない。というのは、やきもの屋さんのように、いっぺんにはできませんからね。

ホントに手間のかかり方が何倍違うんでしょうね。ロクロでヒューッと立ち上げるのと、槌でコツコツ叩いて延ばすのとでは、えらい違いですよね、時間的に。

そうですねえ、割の合わない仕事ですねえ。

でも、楽しいですか?

楽しいですよ。

叩いているときがいちばん楽しいですか?

叩いているときも楽しいし、その前に何を作ろうか考えているときも楽しいし。

展覧会に向かってテーマを考えるんですか? 今回の柿傳さんの二人展は茶器ということでしたけど。

ま、基本的に器で勝負するという。どんな形を考えても、器として機能することを考えて作っていますね。それが伝統工芸というものですよ。

あくまでも使えるモノということですね?

はい、使えないオブジェは別に考えていません。自分の仕事では、使えるモノというのが常に中心にあるんですよね。ときにはオブジェとして置いておいて、存在そのものが何かしら機能するということも、あることはあるんですが。

あそこに花器がありますが、花を挿さずとも機能しているということですね?

ええ。

だけどやっぱり花器なんですね。

花器ですね。

大角さんの師匠だった関谷(四郎)先生と鹿島(一谷)先生は、職人からの叩き上げで作家になっていった方々ですよね?

はい。

そうすると、職人的な技巧を極めるというのは、自分が表現したいことより、使えるモノとして機能することが目的だったわけですよね。

そうですね。職人さんというのは、注文されたことを何でもこなさなきゃいけない。私なんて「そんなものは作りたくないわ」っていうのがありますけどね(笑)。もともと工芸というのは職人さんの仕事だったから、作家のように初めから終わりまで独りで一貫して作るものではなかったんですよね。分業が普通で。だから、工芸のあり方というのが時代とともにどんどん変わってきたわけですよね。

今のあり方は非常に新しい?

新しい。

富本憲吉あたりからですかねえ。

たぶんルーツはもっと古くて、利休の頃からだと思うんですよ。千家十職みたいな形で。それはまだ、お茶人の要求で作っていたとは思うんですが、茶碗に銘が入って、作り手がわかるようになってきた。

それはまだ職人の領域ではないんですか?

この仕事しかできないという点では職人かもしれないけど、銘というのは個人の主張ですよね。自己主張があるから銘を切る。だから、意外と古いんじゃないかと思うんです。作家という意識が芽生えたのは。

もちろん、光琳、乾山、仁清、木米あたりは作家だろうなと思うんですが。

だから、桃山以降ですかね。もっともその前だって、刀匠がちゃんと銘を切りましたけど。いずれにしても、寸分違わず同じものをずっと生産できる人。それが職人の基本形ですね。一方で、私たちはまったく同じものを作りたいとはあまり思わないわけです。思いが変化していくので、「これと同じものを作ってください」と言われるといちばん嫌なんですよね(笑)。そこが職人にはなれない気質だと思うんですよ。

逆に言うと、絶えず新しいものを作る気質の人。映画監督や小説家もそうでしょうけども。

その上に積み重ねていくものがないと面白くないという。

見るほうも面白くないですよ。

ええ。

新しいものを作る源ってなんですか?

うーん、なんでしようね。

日々観察したり、日々考えたり?

そうそう、日々観察し、日々考えて、感動したもの、面白いと思ったものを表現したいから、それは必然的に変わっていきますわね。とはいえ、今日の雲はきれいだなあとか、夕焼けが素敵だなあとか、そんな素朴なものですよ。

とくにメモるわけではなくて、体に蓄積されたものがポッと出てくる感じですか?

そんな感じですけど、出てきた瞬間にはラフスケッチをしますよ。

するんですね、スケッチ。

でないと素通りして忘れちゃいますから(笑)。そんなにちゃんとしたスケッチ帳を持っているわけではないですが、あっと思って描き止めることはあります。ま、みんなそういう感じじゃないですかね。

いつも思うのは、工芸家というのは、時代のニーズみたいなものを考えるか、考えないかというところなんですが。

あんまり考えないです。時代のニーズはすでにマスでありますからね。自分の表現したいものが時代に合えばいいし、そうでなくても身近で使えればいいし、というところでやっています。

例えば現代のマンション生活……ま、東京で言えばですよ、マンションの住空間に調和するかどうかということは考えませんか?

考えますよ。住空間というのは人それぞれだけど、今は畳がどんどんなくなっているから、テーブルより上の目線でしか考えられなくなっていますね。

それは時代のニーズとはまた別個のものですか?

ちょっと違うかな。例えば同じ時代でも、アメリカは家がだだっ広いから、作るものもどんどんスケールが大きくなってくる。で、表現も力強くなってきます。一方で日本は小さな世界があるわけで、その振り幅の中で自在にやっていかないと。といいますか、自分自身、そういうところを浮遊していかないと楽しくないですしね。

作っているときに、これはこういう空間に置いてほしい、こういう人に使ってほしいというのを絶えず考えているわけですね?

そうです。だから、展覧会芸術というのもありますよ。広い会場でいかに際立つか、まして周りにほかの作品があれば、そこで断トツに見えないといけません。自分の存在というものドーンと見せたいという。だから、伝統工芸展のやきものはどんどん大きくなって、あれじゃあ日本人の住空間では到底使えませんよねえ(笑)。

つまり、特定の誰かに向けてというよりも、作品ごとにターゲットを変えている感じですか?

そうですね。

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​坂本素行 作 象嵌珈琲碗
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